May 30. 1969

1969.5.30

山崎省三様
 こゝ2、3日、いっぺんに眞夏の日差となり あゝ今シーズンも終りだなと言った感じがします。
 あまり あわたゞしく変るニューヨークの美術状況には、少々あきれています。このまえまで盛んであったミニマルアートは、もう、あまり目立たづ アンティフォーム、アースワークなどと言われる一群の作家達が新しい動きとして表面に出て来ました。ドワン、レオ キャステリー、バイカートと言ったギャラリーの作家達が主で 美術雑誌ではどんどん書きたてるし ホイットニー ミユジアムでは先週から アンティ イリュージョン展として これらの作家の展覧会を開くしで、あれよあれよと言ふまのこの1シーズン、なんとなく「もっとも新しい動き」としての体裁をとゝのえてしまったようです。ロバート モリスとか カール アンドレなどは、ミニマルアートから、チャッカリ、アンティフォームとの二本立にきりかえて大活躍です。
 美術手帖でアースワーク特集をやるとの事で 又、これもづいぶん早く日本へ輸入されるものだと驚きました。体質的に日本人には、ミニマルより、これらの方が受入れやすいでしょう。結局 日本では、ミニマルをスキップして プライマリーから、いきなりアンティ イリュージョンへと行くのでしょうね。
 ホイットニー ミユジアムの アンティ イリュージョン展を見ますと、イマージュを否定する しないにかゝわらづ、否応なしに イマージュが作品を支える要素となっているように感じます。アクションペインティングの時の心象表現としてのアクションではなく 「出来事」と言ふか、時間的 空間的 アクションと言ったような意味あいで、ふたゝびアクションと言ふ事が問題になって来るのではないでしょうか。ちょっと 日本での後期のアンデパンダンを思わせるようなところも感じられます。
 日本での後期のアンデパンダン(讀賣)の作品群と言ふのは、たゞの外國のコッピーとは違う地点でのエネルギーがあり、戰後日本のモダンアートの「動き」と言える唯一のものじゃあないのかな、などと思います。少なくとも 現在より、独立した思想としての要素が多くあったように思います。アメリカの作品がクールになると、日本もクールになって——外國人にも理解しやすいかたちを整のえた今の日本の姿勢は、むしろ、後退しているのではないかな などと思ふ事もあります。今度の アンティ イリュージョン展の作品群に見られるドロドロした感じは、アメリカのアンティ イマージュに反抗する力として、むしろ 日本あたりから出て来たってよかったのではないかと思ったりしました。
 今のアメリカが つぎつぎと生み出すニューアートは、ミユジアム 美術雑誌 ギャラリーが手を組んで 「作られた極東危機」ではないですが 「作られたニューアート」と言った感じを強く感じます。ポップは別として それ以後のアートは、およそそういった線で考へられるのではないでしょうか。しかし、それにしてもそのニューアートは、「ニューアート」である事にはまちがいないのだし、そのたびに興味を引くに十分な作家達がつぎつぎに出て来ると言ふ タレントの層の厚さには、やはり感心させられます。
 最近のニューヨークのもう一つの特徴は こゝのところSEXが急激におゝっぴらになって来た事です。映画のカットはほとんどなくなり スェーデンあたりのブルーフィルムなみのが上映されていますし、一頁に そのものズバリの写眞をでかでかとのせたSEX専門新聞が街頭で賣られるようになったのも最近の事です。
 ビレージ近辺の女の子は、ノーブラジャーがはやり出し、頭からかぶったうすいセーター 一枚の下で、尖ったオッパイ 下ったオッパイなどをムクムクとゆらせながら歩いています。風俗道徳觀念と言ったようなものが、これから、かなり急速に変って行くのではないかと思います。アートの方でも 今度のローシェンバークの個展は、男女の性器の大写しのスライドを組合せた作品でしたし、マリソル・エスコバルも 大きなオチンチンを彫刻の前面に書いちゃって 見る方が照れます。いったい どうなっちゃってるのだろうなと言ったところです。Sexをあつかった作品がギャラリーで多く見られ出したのも この2ヶ月ばかりの現象です。
 日本の雑誌などを讀んでいると こゝ一年ぐらいのあいだに急速に右へ右へと変って行くように感じられます。本を見たり、日本から来た人のふとした話のはしばしに ギョっとするぐらい 変っちゃったなと言ふ事を感じる時があります。日本に居て、徐々にまわりが変って行くのではなく、断片的にそれらに接するので かえってショックを感じます。僕達の世代ももう若くないし、多くが体制側えと固まって行く時点へ来ているように感じます。今の日本の状況はめいめいが、どちらかはっきり、姿勢をきめなければならないと言ふところへ来ているのでしょうから、それだけに今までなんとなく焦点をぼやかしていた事々が はっきりして来たまでの事なのかも知れませんが。—— 僕が日本へ歸った時は、6年ぶりでしたが 本質的にはそれほど変ってはいなかったように思います。しかし その後の変りかたから、なにかこれから先が、“不在の人間” には、わからなくなって行くのではないかと言ふ不安を感じさせます。
 アルバイトの東洋美術の件 この前のお手紙でもお話し伺っていたのですが、いつか機会がありましたら書いて見ます。結構うるさい日本人が会社で働いていて、芸術新潮などは皆良く讀んでいます。面白い話と言えばどうせインチキくさい話ですし、それを書けば、会社が面白くないでしょう。と言った関係であまり気が進まないのですが、—— その内なにか面白い事が起るだろうと待っています。東洋美術と言っても ミユジアムにおさめるほどのものではないのですが、骨董と言った方が良いでしょう。
 日本人と西洋人との一番の違いは、彼らはそれらを生活の一部として使用すると言ふ事です。屏風でも テーブルでも 5千ドル6千ドルと言ったものを家具として使うわけです。イサム 野口さんがロサンジンのコップを普段用に使っており、ウオッシュマシーンへならべて入れて洗ってしまふので どうもはらはらするのですが、湯呑はお茶をのむ事に使う、と言ふ事や、機械へのしんらい、と言った点でも ノグチさんはやはりアメリカ人の感覚なのでしょう。日本人の感覚から行くと粗末にあつかっていると言った感じを受けますが、しかし、これは、日本人とアメリカ人の愛しかたの違いであって、それらの品々を愛している事には変りはないのでしょう。
 骨董屋の世界と言ふのは所詮いゝかげんなもので、アメリカでの東洋美術と言ふのは特にそうでしょう。長くその世界で生きている人はどうも人間もあまり良くなくなって来るようで人の悪口ばかり言ったりして まあすきな世界ではありません。こんなものを良く5千円 6千円も出して買うものだとあきれる事もしばしばです。今、大阪に歸っている伊原さんと言ふ絵かきの人が前にニューヨークの今の会社にいました。その人が自分の彫刻に使っていた方法(ゴムで型取りをする方法で まったくかんぜんなコッピーを作る事が出来ます)を使って中國のクロマンデル スクリーンのリプロダクションが作れるのではないかと色々研究したのですが、そのゴム型にボンドと石膏をまぜたものを流しこみ、最近ではほとんど本ものと区別がつかないほどのものが作れるようになりました。現代美術のテクニックを骨董のリプロダクションを作る方法に使ったと言ふ意味で面白いのですが 僕がそれを書けば会社で又うるさい事だろうと思います。
 では又、お手紙いたします。先月はサンフランシスコのトライアングル ギャラリーで彫刻と絵のグループショーをしました。
近藤竜男

手紙, May 30. 1969, 1969.5.30手紙, May 30. 1969, 1969.5.30手紙, May 30. 1969, 1969.5.30手紙, May 30. 1969, 1969.5.30手紙, May 30. 1969, 1969.5.30手紙, May 30. 1969, 1969.5.30
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