Jun. 25 69

1969.6.25

山崎省三様
 お手紙有難うございました。色々と日本の様子が理解出来ました。
 先日 中原さんがちょっとニューヨークへ寄られ、お会しました。今の40年代の作家は、外國の動向にほとんど無関心な地点で仕事をしている と言ふような事を 現代展の作品などを例に話してくださいました。無関心と言ふのは少々おゝげさでしょうが、そう言った新たなエネルギーが動きはじめているとすれば、海外の動向などよりははるかに大切な事だし、それは僕の歸った時点での(67年)日本には まだなかった事のように思います。
 イサム野口さんが現代展を見て歸られ、大変面白いと言ってました。日本は現代美術のマーケットが無いので 作家はより自由に制作出来ると言ふ半面もあるでしょう。美術手帖にしても もし、日本にアメリカのような現代美術のシスティムが出来てくれば、あのようなかたちの編集は不可能となる事でしょう。これだけ、現代美術に対する関心が高くて、しかも、マーケットゼロと言ふ日本の情況は 世界でもまったく例がないでしょうね。荒川が日本で個展をして ほんのわずかしか賣れないと言ふ事は、アメリカの側から 日本での荒川の立場(評価の高さ)を考へる時、ちょっと理解出来ない事です。
 一方、アメリカでは、前衛と言われるものがもっとも体制的? とも言える立場になっているのではないですか?
 一番美術雑誌が多く取り上げ、美術館に飾られ、商品として成り立ち、ナショナリズムと結び附き、状況としてはまったく前衛ではないものが、作品のかたちとしては もっとも「前衛的」であると言ふ事。やはり アメリカの現代美術もかなり変な状態と言えるようです。すでに一種の末期症状なのかも知れません。
 今の時代では、ついうっかりすると 状況にばかり目を奪われている事に気が付きます。状況の中の個をみうしなわないように、そこから考へを起さなければ 作家の目を失なってしまふと思います。ジャーナリストの目(一般的ないみでの)になりやすい落し穴が現代にはあるように思います。
 レコード 今日最後の一組お送りいたしました。僕もなんだかだと、集めている内に約500枚、モーツァルトだけで120枚近くなってしまいました。日本にくらべて一枚の値段が安いので、ついつい買ってしまい、そうかと言って全部のレコードをゆっくりきけるわけではないのですが、一枚30分としても 全部きくのに250時間かゝるわけで バカバカしいようなはなしです。LPになって便利になったかわりに きゝこむ密度はうすくなったように思います。きかなくてもレコードの方で、かってに、掛ってくれるのですから。昔、SP版を一枚一枚たんねんにきいた頃がなつかしく感じられます。今はもう、だれもそんな時間をもち合わせてはいないのでしょう。
 では又、お手紙いたします。
近藤竜男

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