May 28. 1964.
1964.5.28
山崎様
原稿同封いたします。アートニュースの出るのをまっていましたが、とてもまにあいそうもないので、一応文書を作って見ました。とりあえづ御送りいたしますから、ま違えがあるようでしたら後便で御連絡します。
この問題はなかなかむつかしく結局はっきりした事はつかめません。結局ほとんどだれも知らないのではないかと思いますが、—— グッゲンハイムが、カンヂンスキーを賣ったお金で新しい絵を買ふ事だけは、たしかな事のようです。
ミユジアムと言ふのは、お金がすぐ出来るものではないそうで、たとえばメトロポリタンのレンブラントの場合にしても これだけのお金まではあつめられると言ふ予測のもとにオークションでねを出すそうで そのお金を集めるには時間がかゝるのだそうです。今度のグッゲンハイムの場合も お金が無いと言ふ事とは、又違うようです。ひかく的急ぐ目的のためではないかとも考へられますが、—— ミユジアム モダンアートがあのようにハデに再出発した以上、現在、建築物のみが賣ものみたいなグッゲンハイム美術館としては、充実した、けいとう立ったコレクションを持ちたいと言ふ事になると思います。
僕は絵かきなのでこの問題、ちょっと焦点がぼけてしまいどうもうまく書けません。よ分な事が多すぎるようでしたら適当に割愛して下さい。—— どうもこの文自信がありませんので。
写眞のネガはありますか? 一応適当に同封しておきます。署名原稿でもかまいません。
では又、御便にてゆっくり御手紙します。
近藤竜男
ネガ 今みつかりませんので、今夜でも後便で御送りいたします。ヴァーホールの個展の会場ネガだけみつかりましたので同封しておきます。
何処でだったか、もう数ヶ月前、カンヂンスキーの作品が大量にグッゲンハイム美術館から賣出されると言ふ話を聞いていました。
私がコレクターなら、ギョッとして、聞耳を立てるところなのでしょうが、カンヂンスキーはえらいとは思ってもあまり好きになれない私は、なんとなくその話を聞き過ごしてしまいました。
この話がもしグッゲンハイム美術館で大量に新人の作品をコレクションすると言ふ事ででもあれば、日時を待たづにニューヨークの作家達は大変な関心を示し、夜ともなれば、ビレージのシダーバーなどでは、まづその話で持ち切りとなる事でしょう。私みたいにその可能性の無い者でも現金なもので聞耳を立てた事でしょう。しかし、このカンヂンスキーの話し、その後一度も耳にせぬまゝにすっかり忘れてしまいました。
数日前、芸術新潮の編集部よりこの件に関する手紙を受取りました。「グッゲンハイム美術館所蔵のカンヂンスキー50点を6月30日、サスビーのオークションに賣り出す事になり、そのカタログの序文によれば、現在グッゲンハイム美術館所蔵のカンヂンスキーは170点あり、常陳それに國内外への貸出しを加えても百点前後、常に50点以上が倉庫に眠る事になっている。この際カンヂンスキーを持っていないヨーロッパに買ってもらおうと言ふ意図が記されている。しかし、グッゲンハイム美術館と言えばアメリカの最前衛の美術館としてブランクーシー、カンヂンスキーのコレクションをようし、常にその企画に抽象芸術へのバックアップを示してきた事であるし、果して以上のような理由のみによるものかどうか納得が行かない。あるいはグッゲンハイム財団からの不服、それに関してのグッゲンハイム美術館の経営難、または、もっと推量すればカンヂンスキー觀の変化と言ふような事がその背景に考へられるのでは無いか? いづれにしても約1億円にそうとうするこの賣立てによって美術館は何を企画しようとしているのか、この辺の事情を調べてほしい」と言った主旨のものです。
これは私には無理です。とは思いましたが、〆切日も近く断る隙もなく、結局、聞いた事、わかった事、考へた事々らを羅列するより仕方のない結果となりそうです。後日「眞相」が発表された時、かなりの食違いが生じても許していたゞきたいのです。
グッゲンハイム美術館と言えば、ライトの設計になる新館、國際コンクール等で今はすっかり有名ですが、ミユジアム ノン オブジェクティブ アートと言ふ名でその前身が東24番地54通り(今のミユジアム モダンアートの近く)に出来たのは1939年。当時ピカソ、クレー、ドロネー、シャガール等の作品を展示していたそうで、それ以後、文字通り展示されるものはノン オブジェクティブの作品に限られていたそうです。1952年、スイニー氏のグッゲンハイム入りでやゝ幅が出来、フィギュラティークな作品も展示されるようになったようですが、いづれにしても前衛的姿勢と言ふ事が昔からのこの美術館の立前であり、又一方に、ライバル的存在であるミユジアム モダンアートを控えて、そう簡單に美術館の指向する方向を変えられるものとは考へられません。例のポップアートをバックアップしているのもグッゲンハイム美術館であり、又、最初にそれをミユジアムで取り上げたところでもあるわけです。
アメリカの現代美術のもっとも強力なバックアップを常にその姿勢として来たグッゲンハイム美術館は、アメリカにおいて開花したアブストラクト エックスプレションを強力に支持し、そして今、いかに批判の余地があるにせよ、ポップアートがアメリカの生んだ今一つの新らしい動きである以上、それを支持すると言ふ事は、その美術館の性質上、又、パップアートの推進者の一人であるローレンス・アローエ氏が現在、グッゲンハイム美術館のキューレターである事などから推察しても当然考へられる事と思います。昨年春にグッゲンハイム美術館で開かれた、ジャスパー ジョーンズ、ローシェンバークにジム ダイン、ヴァーホル、リヒテンシュテイン、ローゼンクイストのパップアーティストをくわえた「6 Artists and the Object展」は、最上階のみによる展示でしたが、全館を使って大々的なパップアート展を開く事がキュレーター アローエ氏の初めの企画であったそうです。キュレーター アローエ氏のポップアート支持に対して、ディレクターのメッサ氏はやゝ反対の姿勢を取っていると言われますが、あまり内部に立入った事情については正確な事はわかりません。しかし、現在のグッゲンハイム美術館としては、パップアートをかなり強力に推進している事はほゞ確実な事と思います。
そんなところからか、「カンヂンスキーを賣ってパップアートを買うのだろう」と言ふ事が冗談ともなく話題にのぼるわけですが、パップアートの作品は概して大変安い上、グッゲンハイム自体が現在、財政上のゆきづまりを見せているとはまづ考へられない事からも、ちょっとこの問題の対照にはならないように思われます。
「ニューヨークの作家は概してパップアートに反対の態度をとっている」或は「まあ、あれはたいして長くは續かないですよ」と言ったような事が、ポップアートについて、もうづいぶんと長いあいだ言われて来たのですが、しかし、そう言われながらも相変らづ大きな勢力を持っている事実は何か不思議な力を感じさせます。安くて良く賣れると言ふ事。今までの近代美術史上、一応新しい芸術運動と言ふ名で呼ばれたもので、少なくともその運動途上、しかも、初期の段階においてその作品が頻繁に賣れると言ふ事実はまったくなかったように思われます。それは、まるで「パップアート」と言ふ商品が独立してしまって、作家から、或いはその運動から—とは関係なく一人歩きしだしたような寄妙な印象を受けます。
先月、ステイブル ギャラリーで開かれたヴァーホルの個展では、木で作られた箱にシルクスクリーンで印刷された一見本物とまったく変らないBrillo(石鹸ダワシの商品名)の箱が50ヶほど積上げてありました。1ヶ250ドルとか? 300ドルとも聞きましたが、それが飛ぶように賣れたのだそうで、私が会場へ居合わせた時も、ビニールの手袋をはめ、その箱を大事そうに4ツ、5ツ、とキャディラックに積みこんでいるのを見て、ポップアートを生んだアメリカ、そしてそれを又脹れ上らせて行くアメリカ、それが結局は同じものなのか、それが何処にどうつながって行くのか当惑を感じました。
話がそれてしまいましたが昨年の1月から4月にかけて、グッゲンハイム美術館では大々的なカンヂンスキーの回顧展を開きました。世界各國から代表的な作品を集めた大変充実した展覧会でしたが、その油絵89点の内、26点はフランスに居る、ニナ カンヂンスキーから借受けたもので、グッゲンハイム美術館のコレクションからの出品は34点。又水彩は34点中、24点がニナ カンヂンスキーのもの、8点がグッゲンハイムのものでした。後はドイツ、アメリカ國内等から借受けた作品から成立っていました。そこで、ヨーロッパにカンヂンスキーが無いとは、ちょっと一概に言えないのでは無いかと思われます。カンヂンスキーの代表作と言われるものは、ほとんどニナ カンヂンスキーが所有しているとも言われますし、ドイツにもかなりのカンヂンスキーがあるはづです。ヨーロッパに作品を買ってもらうと言ふ事については私はカタログを見ていないのでその点良く分かりませんが、ちょっと納得行きかねるような気もします。サスビーのオークションと言えばロンドンにある世界でももっとも大きなオークションの一つであり、グッゲンハイム美術館のアローエ氏がロンドンから来てる関係上あるいわ、などとかんぐっては見たものゝ別にそんな関係はなくとも これだけ大きな賣立てゞあればサスビーのオークションに出るのが筋合なのだそうです。しかしこれだけ大きなオークションであれば、例えどこの國で開こうとも、コレクター、ミユジアム等が世界中からつめかけるわけで、そこでカンヂンスキーの作品がどこまでその価格を釣上げられるか、或いは場合によっては予想を下廻る事すら考へられるわけです。
いづれにしてもそれらの作品は世界中のミユジアム、コレクター、等の手元へと散って行くと考へるのが妥当でしょう。しかしカンヂンスキーの作品がそう安かろうはづもないし、又価格がかなり高く釣上げられて行くと言ふ事にでもなれば 案外作品は一番お金があるアメリカへかなり戻って来ると言ふ事も考へられます。グッゲンハイム美術館から一度出たカンヂンスキーの作品はヨーロッパのオークションを通して、アメリカ全國にある多くのミユジアムやらコレクターの手元へ落着くものもかなりあるとも考へられます。
今度のオークションに賣出される作品は つまらない作品ばかりと言ふ事ではなく各エポックのかなり良い作品が含まれていると言われます。ではなぜカンヂンスキーを手放すかと言ふ事。そして、それでなにを企画しているのかと言ふ問題となるわけです。或いはカンヂンスキーの評価の変化、と言ふ事も考へられるわけですが、もし、そのような事があるとすれば、アメリカ現代美術における輝かしいアブストラクト エックスプレションの評価じたいも又変らざるを得ない事となり、現在、特にアメリカにおいてはちょっと考へられない事と思われます。グッゲンハイム美術館におけるパーマネントコレクションは、カンヂンスキーに関するかぎり膨大なものですが、他のものとなると、たとえばミユジアム モダンアートのような平均ししかも内容の充実したコレクションと言ふわけには行かないと思われます。今まで閉館していたミユジアム モダンアートでは、その膨大なコレクションにもかゝわらづ その多くは掛ける壁面がなく長いあいだ人目にふれづに倉庫に眠っていたわけですが 今度大々的な増築をおこない5月の末より新たに開館しました。又、ホイットニー ミユジアムも現在、マジソンアベニュー75通りに新館建造の工事を進めています。そこで——と言ふわけなのかどうかはわからないのですが——。グッゲンハイム美術館としては現在かたよっているコレクションの中よりもっとも多く所有しているカンヂンスキーを整理し それによって得た資金によって現代美術を中心とした20世紀美術の充実したコレクションを完備すると言ふ事を考へているようです。
現在のグッゲンハイム美術館は企画展を開いている場合は、パーマネントコレクションを展示すべき壁面をほとんどもっていない事から、或いは新館増築と言ふような事も考へて見たのですが、今のところそのような話は無いようです。いづれにせよ、カンヂンスキー作品50点を賣上げたとすれば莫大な金額となり、これによって20世紀美術のコレクションを完備するとすれば かなり充実した内容のものが得られる事が考へられます。グッゲンハイム美術館は今、ゴッホ展を開催していますが その代表作品がづらりと並んでいます。カンヂンスキーが有り過ぎる、コレクションの置き場がない、と、われわれには有りすぎる悩みなどはピンと来ませんが、このアメリカと言ふ國は、その國の豊かさが芸術作品への積極性と言ふ姿勢につながっている地点においては、まったく恵まれたうらやましい國です。
Six Painters and the Object