9月29日(1965年)

1965.9.29

 ごぶさたいたしました。ギャラリーのオープンもバラバラですし、新聞はストライキで、なにがどうなっているのか良くわからづ、ギリギリまでまって見ましたが、ストライキが終る様子もないので、それなりの原稿として、一応お送りいたします。ギャラリーがオープンしないのは ストライキのためはまちがいないと思います。忠介さんの個展や、ベテー パーソン等、今個展を開いている所はほとんどストライキ前にオープンしたところです。あるいは別な理由があるのかも知れませんが、一般にはストライキのためと言われています。
 ギャラリーはあくまで商賣ですから、新聞がストップしたのでは困るわけです。それだけ、新聞がもつ美術欄のスペースも多く、力も持っているわけです。
 グリーン ギャラリーは先シーズンより手持の作家がなく、ウェッセルマンが最後までのこっていましたが、いづれにしても閉めるのではないかとのうわさはありました。それにしても、グリーンが閉めると本気では思っていませんでした。一説には、ベラミ(グリーンのディレクターで ポップ オプ等の生みの親のようなもの)が強度のドープ中毒で、もはや再起不能なのだと言ふうわさもありますが、本当の事は良くわかりません。もし、グリーンの名のギャラリーがどこかで又開かれるとしても ディレクターがかわれば、まったく内容の違ったものになるわけです。ポップが下火になったからと言ふのではなく、そだった作家が他に引っぱられたのであり、その辺が商賣のカケ引のようなもの、資本主義のアメリカらしいつめたさを感じさせます。
 スタンフリー ギャラリーでは「Nine Japanese Artists」と言ふ展覧会を21日から開いています。これも新聞ストライキで どのような評価をされるか、まったく評が出ないのでわかりません。来月に廻した方が良いと思いましたが、カタログを同封いたします。スタンフリーは流さんのいるギャラリーで 一応一流ギャラリーでしょう。いづれにしても このような形ちで日本の新人作家の作品が発表され、こちらの目にふれるチャンスが作られる事は大切なことだと思います。昆郎君の新作を見る事が出来嬉しく思いました。もう一度ゆっくり見に行くつもりですので 日本展に関しては又の手紙に書く事にいたします。
 タダスキー君は写眞のような作品となりました。今度の個展は同心円を切った作品ばかり並べました。彼の作品を一点もらい部屋に掛けて見ましたが、もうれつに強烈で、朝、目が覚めたとたんに、頭の上でグルグルしているのには少々まいってしまい、見えない所にしまいました。
 藤枝君が日本へ先日歸りました。お会いになりましたか?
 では又お手紙いたします。乱筆乱文にて申訳ありません。敬具
近藤竜男

手紙, 9月29日(1965年), 1965.9.29手紙, 9月29日(1965年), 1965.9.29手紙, 9月29日(1965年), 1965.9.29
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