May 29. 1990.
1990.5.29
山崎省三様
3月帰国の折は、久し振りにゆっくりお会いすることが出来、又、神楽坂で御馳走になりましたこと、心より御礼申し上げます。本当に有り難うございました。
水戸芸術館のオープニングには、一人で行くのは心許ない感じでしたが、山崎さんからの伝言との事で、馬宮さんが一緒して下さり、大変に助かりました。水戸では 多くの方々にお目に掛かることが出来て、行って良かったと感謝いたしております。
ニューヨークの美術界は、特にソーホーのギャラリーの巨大化が目立ち、力のあるところが、金に糸目をつけない廣大な会場を作るので、はたして作家の作品が、その空間について行けるのだろうか、といった疑問すら感じます。レオ・キャステリイがあった142グリーン・ストリートの廣大なスペースは、家賃の高騰で、レオがかんかんに怒って手放した会場を、ペース・ギャラリーが取って大改装し、ジュリアン・シュナーベルの巨大な彫刻作品で今月 オープンしたのも皮肉な話です。世代交代と、ヤッピー感覚の、金次第の美術界、個人としての作家の手仕事では、とても作れない、インダストリアル的作品、作品の気違いじみた高価格。それらは、はや 90年代の方向が現われ始めたということかも知れず、19世紀とはことなる、世紀末現象なのかも知れません。
先日の帰国では、ワールド欄の原稿を日本で書きましたので、馬宮さんと打ち合わせなどで良くお合いしましたが、急速な円安の事なども話題となりました。このまゝ円安が続くと、ぼくの原稿料の手取りが200ドル台になってしまうのではないかという不安があり、一方、今年に入ってニューヨークの地下鉄、タクシーなどの値上げにともなう物値高が目立ちますので、手取りが、(ご送金いただく金値が) 昨年、一昨年のレベルになるよう(頁#2、約$550、—ぐらい)お願い出来ないだろうかと、馬宮さんに水戸芸術館への車中で話しましたところ、山崎さんと山川さんと、ご相談してみましょうと、おっしゃって下さいました。水戸へ行ったのは、帰米の前日でしたが、ニューヨークへ戻って、馬宮さんから、山崎さん、山川さん、からのお話しをうかがい、大変 申し訳ないことをお願いしてしまったと、心から後悔いたしました。
失礼お許し下さいませ。そして、この事は、ぼくが直接、山崎さん、山川さんにお話しすべきことだったと反省いたしております。山崎さんと神楽坂でのみました時、お話ししてみようかと思いましたが、せっかく楽しい一時の最中、お金の話も・・・、という気がして、話せませんでした。
現在のワールド欄は、無記名原稿ですので、枚数が決っておらず、ヨーロッパからのニュース、写眞、次第で、ニューヨークのニュースが、半分以下の場合もあれば、大半を占める場合もあります。その結果が最終的に決るのは、かなり後になりますので、通常、お送りしたスライドの中から、何々をピック・アップするか、馬宮さんと電話で 5、6項目ぐらい決めて、原稿を書きますので、400字で ほぼ15枚前後になると思います。(現在はファックスでお送りしますので、原稿用紙は使用しません。長くなるのは、ぼくが勝手に長く書いてしまうのですが、新しいアートの動きは、短文では、うまく言い現わせません。)
帰国いたしました時、ぼくから、何もお話しせず、資料もお見せしないまま、勝手なお願いをいたしました失礼、重ねてお詫び申し上げます。
先週からは、又、円高の方向に向いつつあり、この問題も、あまり心配なくなるのでは、と思いますが、馬宮さんとお話しした時の状況を 一応お知らせいたした方が良いと思いますので、先月お送りいたしました原稿のコッピーと、それに掛りました経費の明細を同封いたしますので、ご覧いただければ幸と存じます。
日本はそろそろ梅雨の季節ですね。ぼくにとっても、もっとも苦手な、湿度の高い雨期から暑さの夏にかけて、くれぐれもお体、大切にして下さいませ。5月の旧作個展が実現すれば、来年又、お目に掛れますこと楽しみにいたしております。
近藤竜男