Jun. 9. 1988.

1988.6.9

山崎省三様
 またたくまに月日が過ぎ去ってしまい、すっかり御無沙汰してしまいました失礼 お許し下さいませ。本の方、ぼくの不注意ですっかり遅れてしまい、間に合うか? と心配しています。
 実は、川島さんに大変申訳ない事をしてしまったのですが、3月16日付のお手紙の中に薄い紙の別紙が入っていて、詳細なスケジュール表が書いてありましたのに、それを、ぼくは今日まで見ないまゝになっていました。川島さんにたびたび、上段、下段、写眞などの、デッド・ラインを知らせてくれるように記しましたのに、具体的な連絡がなく、5月末の手紙で、本は4ヶ月掛るから、5月10日には入稿していなければならなかったとのことで、どうして、もっと早く知らせてくれなかったのか、などと思っていました。たぶん、川島さんは、スケジュール表を送っていることですし、遠慮して、何日までにかならず着くように とは言わなかったのでしょう。・・・ ずっとちぐはぐな会話をしていたわけです。デッド・ラインの連絡が無いと思っていたので、上段だけで 一册の本が出来る程の652枚の原稿を書いてしまい、とりかえしのつかない無駄な時間の使い方をしてしまったようです。これは、まったくぼくのミスで、出来るだけ早く6月中にでも帰国して、間に合うように努したいと思っております。今日山崎さんに手紙を書いていて、やはり、どうもおかしいと思って、川島さんからの手紙を全部出して読みなおして見ましたら、この別紙が出て来て、とんでもないミスをしてしまったものだと、後悔しています。川島さんにくれぐれも、申訳ないことをしてしまったこと お詫びを伝へて下さいませ。川島さんのお手紙では、いまだ下段原稿がないので、連載原稿1-24をそのまゝ入稿して、初稿ゲラに書き加えるということでどうでしょうかとのお話し、本来なら、下段を年代順に書きかえ、魚釣り、食物、音楽関係の話をもう少し書き加えるつもりでしたが、こう切羽詰まってみると、オリジナル原稿のまゝでも良いのではないかとも思います。上段の方は、かなり カンペキに書きなおしましたので、下段は、散文的なエッセイでも良いのではないかという気もします。あまりなにもかも今回書いてしまうと、もう後、書く事がなくなってしまいそうですし。——
 展覧会のドローイングも日本で作ろうと思います。
 お忙しいところ本当に申訳ないのですが、案内状の紹介文、是非山崎さんに書いていただきたく思っているのですが、お願い出来ますでしょうか? 何卒よろしくお願い申し上げます。6月末の帰国であれば、展覧会に関しては、帰ってからでも、間に合いますでしょうか?
 みゆき画廊へは、まだ手紙を書いていないのですが、彫刻の下田さんが、みゆき画廊でぼくの個展のことをきいたそうで、偶然、下田さん、大阪国際の村田さん、古川さんなどが一緒の時、その話が出て、突然 皆がみゆき画廊へ電話するといいだして(それぞれ皆 彼女の事を良く知っているそうで)、電話を掛けてしまいました。ぼくは、ベイリーさんには まだ手紙も書いていませんでしたので、まったく、とまどってしまいましたが、その時、一度お話しいたしました。
 今日、川島さんと電話で話してみて、6月中に帰国すべきでしたら、展覧会に関しては、帰国してから準備に入りたいと思います。
 又、大変に御迷惑をお掛けし、お世話になることと思いますが、出来るだけの努力はいたします故、どうか、よろしくお願い申し上げます。
 一ヶ月たたないうちにお目に掛れるかと思いますが、お会い出来ます時を楽しみにいたしております。
近藤竜男

手紙, Jun. 9. 1988., 1988.6.9手紙, Jun. 9. 1988., 1988.6.9手紙, Jun. 9. 1988., 1988.6.9

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