Apr. 6. 1984.
1984.4.6
山崎省三様
すっかり御無沙汰いたしました失礼お許し下さいませ。
ワールド欄いつも遅い原稿となり、芸新の皆様にも御迷惑をお掛けしてしまい申訳ございません。お世話になっておりますこと心より感謝いたしております。
ニューヨークは三月末に雷を伴ったスノー・ストームがあり、務めも半ドンとなりましたが、土曜日にはすっかり晴れ上がり、ソーホーにも人々が押し寄せ、デビット・サーレの個展も賑わっていました。こゝのところ 再び新表現派作家の個展が相次ぎ、改装中だった メアリー・ブーン・ギャラリーも今週末にはバセリッツの個展でオープンします。
同封いたしました 日動現代展のアナウンスメント、日動画廊より 安井さんの名で出品依頼がありましたもので、作家に直接出品の許否を問うという形式でしたので、僕も東京画廊との関係があり、少々戸惑いました。出品の依頼作家の顔触れからは、恐らく所属画廊との関係から参加しないだろうと思われる作家達の名が多く見られましたが、結局出品作家達は大幅に変更されました。アナウンスメントを見ますと、この展覧会、在外作家と帰国作家が結果としては 皆出品することになっていることは、面白いと思いました。
僕は 日動画廊に作品を出品すること自体には、こだわりはないのですが、作家にとっての関係画廊(僕の場合は東京画廊)の承諾を取ってほしいということを お願いいたしました。
今回は32インチ×32インチの作品と、ドローイングと、二点の出品なのですが、ともかく、日動画廊、東京画廊、合意の上で出品するというところまで漕ぎ着けるのに 予想以上の屈折を経なければなりませんでした。
ニューヨークでは、一つのギャラリーが、他のギャラリーの所属作家達の作品による企画展(一つのテーマを立て、自分の画廊の作家達を数人加へる)を開くということは、ごく日常的なことで、50年代後半には一応現代美術のギャラリーが、自分の手持ちの現代美術作家でビジネスが成り立つという 美術状況が確立されていたといえるでしょう。画廊と画廊、画廊と美術館の間における作家の作品出品に関する事前の事務的手続きにおいて、おたがいがルールを守る手順を踏むことが日常のことゝして定着していると思います。アメリカでは、他所でのグループ展に出品するチャンスを多く持つことの出来る作家ほど良いとされ、画廊も嬉ぶのですが、他の画廊が作品を売ってくれるということは、それだけ、ビジネスのマーケットが廣がる可能性があるからでしょう。アメリカ国内とヨーロッパ、という廣大なマーケットをもっているニューヨークのディーラー達は、一方、ヨーロッパ勢の攻勢に対しても門を閉ざすことは不可能であって、常に欧米の最先端がお互い晒し合わざるを得ないという きびしい背景が、自由な交流に可能性を求めるという姿勢を生んでいると思います。
日本では、長年現代美術を扱って来た先駆的画廊ですら、今だに現代美術一本ではビジネスが成り立たないという現実があり、一方、新たに現代美術を扱おうとする画商さん達は、直接作家との人間関係の上に絆を成り立たせようとするように思われ、現代美術のマーケットが成り立たぬまゝに、ルールも出来ず、おたがいがかたくなになり、相互のフレキシビリティーがなさすぎるように思われます。
もっとも、欧米のディーラー達がもつ廣大なマーケットからくらべて、極端に狭い日本の現代美術の市場を思へば、当然のことゝも思われ、欧米と日本との美術状況を同時には語れないなと今回つくづく思いました。しかし、欧米も又、日本にとっての美術市場として可能性があるのであって、日本の美術界自体が、70年代後半以来閉鎖的な姿勢を取って来たことによって、自から市場を狭くしているとしか思へません。日本国内でも若い世代や、新しいタイプのディーラー達が台頭して来ることでしょうし、いずれ(すでに?)欧米の大攻勢があることでしょう。国際的に通用する最低線のルールを守りながら、やる時は、美術界がひっくりかえるような大博打を打つのが現代美術のディーラーだと思いますが。——
又 勝手なことを書いてしまいました。
この手紙、まだ案内状を日本から受取ったばかりで、オープニングに間に合わないかもしれませんが、お時間がございましたら御覧戴きたく お願いいたします。
芸新の皆様への案内状も同封いたします。誠に恐れ入りますが、お渡しいたゞければ幸です。
では又、お手紙いたします。敬具
近藤竜男
追伸 とんぼの本の「ニューヨークの20余年」なかなか進まず、もうこんなわがまゝをいっている時点ではないのですが、昨年末から3月までなにか時間がなく、夏のシーズン・オフの期間中、なんとしても大筋は具体化しなければと思っております。長年の酒ののみすぎか、体も少々ガタガタして来ましたし、急がなければという気持ちで一杯ですが、目まぐるしく展開するニューヨーク、その日その日、又 それだけで勢一杯となってしまいます。ロマンチズムの復活、新表現派の台頭などが起ると、20数年を見渡す視線の波が大きくゆれ動きますし、もう今月で24年目に入ってしまいました。来年4月を過ぎると25年目でもう唖然としてしまいます。
誠に勝手ですが、もう少し時間を下さいませ。