Apr 29. 1979.
1979.4.29
山崎省三様
東京では久し振りにお目に掛れ、色々と大変お世話になりましたこと 心から感謝いたしております。有難とうございました。
あまりに短かい滞在だったので帰った当座は、まだ日本に居るような錯覚を起しました。成程 日本とアメリカは近くなってしまい、飛行機の中で映画を一本見て、アンカレージで入国手続を済ませれば、後は酒のんで、うとうとしているうちにニューヨークです。今の若い人達がアメリカへ来る時の感覚が、かつて僕達が石鹸から絵具までをつめこんだ大荷物を持って「渡米」した時代と いかに違うかということが実感されます。
どういうわけか、今度の帰国は、こちらへ戻ってから、ひどく疲れました。帰米そうそう画廊やミユジアムを回ってみながら、日本の美術界が東京ビエンナーレの頃を頂点として、以後 世界の美術界から急速に離反しつゝある事を感ぜずには いられませんでした。戻った時点でのニューヨーク、見なければならないものが多過ぎました。グッゲンハイムの”The Planar Dimension: Europe, 1912–1932”展のように ものすごく大規模でありながら、大衆的には、あまり関心を呼ばないだろうと思われる地味な展覧会——それでいて とても一回見たゞけでは吸収しきれない程の問題提起をはらむ主要作品がヨーロッパ各国から集められていたり、ムンクの1890年代の代表作に集中した 小規模だけどすごいムンク展が開かれていたり、街の画廊では デュビッフェ、メルツ、デマリア、アコンチ、アラカワ等、それぞれの国の作家達による大会場での力作の発表が相次いでいます。停滞だ、不毛だ、といっても、過去(否定するにしろ)と断絶なしに「事」が持続されていることが、日本の現代美術界と違うように思へました。
日本美術界が積上げて来たものが実らず持続しないということは 具象の「安井賞展」などに象徴的に現われているようで、アートでない作品が多すぎるように思へます。アメリカの「ニュー・イメージ・ペインティング」展(ホイットニー・ミユジアム)の作家達が、いかに日陰者的でつまらないといっても、彼等は精一杯、60年代-70年代のアメリカン・アートの道程を背負いながら それ以後の時代を模索しているのであって、それが停滞と見受けられても、そのさえない作品は やはりアートをやっていると思います。
山崎さんに「帰っていらっしゃい」といわれて、心にこたえました。親以外に、あまり、そういうことをいってくれる人はいませんが、でも、今度帰って接した日本の美術界には、賭てみようという気持を引きつけるテンションが感じられません。(無論短期の帰国で深く日本の美術界に接したわけではありませんが、いくつか見た展覧会や、志水さんの追悼会や、会った人達の言動やから受けるカンのようなものなのですが・・・) では、ニューヨークに居て ニューヨークの美術界の中での日本人作家——たとえば僕——のおかれている立場が、可能性に満ちているかといえば、まともに「アート」をやって行こうと思えば、お先眞暗でしょう。「成功」を目的としてディーラーの欲するものを、作り出そうということなら別ですが。・・・ 僕はテンポが少々遅くて パッとヒットを飛ばすということがなかなか出来ませんが、大成功の可能性はあまりなくても やはりこの街が好きです。ニューヨークでやってゆきたいと思っています。しかし、何処に居ようと、作品を日本で発表したいという気持は、すごく強いのです。たゞ制作の場(ということは作家にとっての生活の場ということにもなりますが)としての日本には、どうしても疑問が残るのです。
志水さんがいなくなってしまって、(南画廊が今までと同じ立場で存続するとは思えませんし)浪人になった感じです。しょせん組織からはなれて一人で生きようときめた身ですが、作品発表が出来ないというのは、こたえます。
西武ミユジアムの話は、とっくにあきらめていたら、そうでもなくて、時々、浮上しかける時もあるのだという人もいますが、紀国さんには、実質的な力はないようで、堤さんを動かすよりほかないのだそうです。大岡さんあたりから、ということになるのでしょうが、大岡さんは、一度ニューヨークの画廊を半日案内した程度で、そんな事をプッシュ出来る程懇意ではありません。東京画廊ということも無論考へますが、志水さんのなくなられた直後であり、先日帰国の時点で話して見るべき事柄ではないと思い、そのまゝになっています。むしろ これから育つ若い世代のディーラーに可能性があればとも思いますが 康ギャラリーのセラ展の展示方法には大変がっかりしました。画廊の内部もかならずしも円滑にはいっていないようで、新勢力にあまり期待出来ないというのが実状でしょうか? 既成にとらわれない、新たな発表形式が可能性を持ち得るのなら、そのようなかたちでやってみても良いと思いますが。—— 日本不在の年月が後2年で20年になろうとしているだけに 日本に関してはまるでわからなくなって来ました。何かの折には 恐れ入りますが御助言戴きたく何分よろしくお願い申し上げます。
昨日、又画廊を廻って見ましたら なんだかちっとも面白くなく、始めに、ニューヨークがばかに活発なようなことを書いたこと、少々気が引けます。それでも ミユジアムと画廊を一応見ようと思ふと、3日はついやさなければ新しい展覧会を見きれないという量の多さだけはたしかです。明日は「ジャパン・トゥデー」の一環として「日本現代美術展」の搬入です。どんな展覧会になるのか、この企画はアメリカのワシントンD.C.側が主催するもので、日本の松下、日本文化交流基金?(名を忘れました)から資金の援助はあっても 主導権は日本側にはないのだそうです。かなり馬鹿馬鹿しいプログラムも含まれていますので、その方が気が楽です。
磯崎さんの「間」の展覧会は僕にはどう考へても、さほど優れた展観とは思へませんでした。
では、又、お手紙いたします。末筆ながら、芸新の皆様方にくれぐれもよろしくお伝へ下さいませ。斎藤様にもお会いしないまゝの帰米となってしまいましたが、又、レコードのオーダー考へていらっしゃるとのことで、いつでも御連絡下さいますよう、よろしくお伝へ下さいませ。
近藤竜男