July 14. 1979.

1979.7.14

山崎省三様
 お手紙有難とうございました。先日、お電話頂きました時は、ちょうど仕事に出ていて お話し出来ず残念でした。
 帰国してから、早3ヶ月、志水さんの100ヶ日が過ぎたと同時の滝口先生の他界は、三木君以来、次々に続く悲しい知らせとして唖然としてしまいます。
 80年代を目前にしての時代の転換期といった ごく一般的な言いぐさが今、現実に僕達の世代を支えて下さり、開花させて下さった方々の死によって示されると、有無をいわせぬ時の流れに おそろしさを感じます。だからといって キョロキョロして見たところで、どうにもならないことで、僕はニューヨークで初心をコツコツと持続して行くことしか道はありません。ニューヨーク・レポートも、そういった視点に立った上で あまりかたくなにならずに時の流れを見つめ、記録して行きたいと思います。レポートと制作とは両立しにくい点も多いですが。
 荒川君は滝口先生の最後には間に合ったのですか。23日か24日の出発といっていましたが。「メカニズム・オブ・ミーニング」の件もあったし、帰国していながら、お会いしないまゝだったとしたら、大変なショックでしょう。東京で山崎さんにお会いするように出発前彼に話しましたが、昔、山崎さんと一緒に彼のスタジオに行った時のスナップに入っている作品写眞(芸新掲載?) 他にまったくなく入手したいといっていました。
 ドイツ(ドイツは一都市にアートが集中しない) パリ、ニューヨークと、それぞれの都市における、彼に対することなる評価に対して、日本の美術界が、どのように彼を、むかえるのでしょうか。まともな「荒川論」が日本にはないというのが彼の不満でもあるようですが、彼の、日本と世界のはざまにおける屈折した生きかたと、その上に築き上げた作品を、まともに受け止めて、正面切って批評することが、弱体化した日本の美術批評界に今、出来るのだろうかといった疑問を感じます。本当は、今、日本から、世界でもっとも充実した「荒川論」が生まれるべき時なのでしょうが。
 二居さんは、ニューヨークのあの世代の作家では頑張っている方で、一体に女の作家の方が元気が良いようです。宮本和子さんとか、杉浦くにえさんなど。今年のホイットニー・ビエンナーレのように ニューヨーク在住出品作家中、約60%が女性作家だという時代を反映しているのでしょう。男の方は、女房が飛び出したり、逆に追い出されたり、かいしょうのない男性作家は、不況時代の逆境には弱いようです。
 ニューヨーク、数日前から、もうぐったりしてしまう暑い夏の盛りです。原稿 今月からシーズン・オフの上、ミユジアムの展覧会もほとんど書いてしまいましたので、今月は、一、二本しか書けないと思います。
 では暑中、くれぐれもお体をお大切に、芸新の皆様方によろしくお伝へ下さいませ。
近藤竜男

手紙, July 14. 1979., 1979.7.14手紙, July 14. 1979., 1979.7.14手紙, July 14. 1979., 1979.7.14
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