May. 24. 1972.

1972.5.24

山崎省三様
 馬鹿に雨ばかり降るニューヨークで、これは、数年前からの事です。僕がニューヨークへ来た頃は、傘と言ふものを、あまり人が持たないものでした。日航のアンカレージ経由が出来て、やたらと日本語の広告が舞込みますと、なにやら、東京が近くなったような錯覚を起しますが、別にPan Amと変らないのだし、いざ歸ろうと思へば、依然 遠い國に変りはありません。と言ふわけで、あいかわらずのニューヨークで、しかも二ヶ月ばかり、ビルの工事に毎週末かり出されます。もう少し、きれいに工事しなければ、一階の借り手がないと言ふ事で週末、大工仕事をやるわけですが、川島さんも、僕も、ちょっと働くとガックリ、のみすぎるとガックリで、僕がニューヨークへ来た頃は、まだ二十代だったとは、なんだか嘘のような気がします。
 近美のピカソ展や、マチス彫刻展を見ていると、マチスに傾倒していた頃の猪熊さんの作品やら、美術雑誌の複製のマチスばかりを見ていた僕達が、日本で最初のマチス展をみて、なんて汚ない、と感じてびっくりした事など、なんだか、バネがゆるんだように、昔の事など思い出しましたが、しかし、こんな展覧会ばかりやっている美術館も少々、たるんで来ているのでしょう。
 グッゲンハイムはロダンのドローイング展、贋物、真物をカードでためして見ようかと思いましたが、なにか、おっくうでやめてしまいました。
 ロバート リーマンの展覧会を、ロダン展ののこり、下1/3でやっているのですが、これは、5月の中旬までやっていますので 来月の原稿として送りいたします。
 こゝ10年の作家が出たり、消へたり、変ったり、の変動をづっと見渡して見ると 何んだか、ミユジアム、キューレター、画廊、ディレクター、コレクター、美術雑誌 新聞、觀客、作家共々、からみあっての だましあいと言ったようなものにも見えてきて、イヤーな気分になります。
 いっそ どこかへ夢を求めたいほどつまらない現状ですが、(桁外れの馬鹿馬鹿しさのもつ、面白さは、ありますが) 夢をえがいて追って見ても その夢の実体を認識した時は、もっと みじめなような気がして、—— 結局、自分の居る場があり、そこにいるかぎり、特に居直ろうとは思いませんが、その場を見つめる事を、おろそかにしないようにしたいと思っています。
 明日は、飯村さんの映画がありますので行って見ようと思っています。画廊をもつアーティストの一部が、映像の方向へと動いており、ギャラリーでひんぱんに作品発表をおこなう現在、アンダーグランドの映画の世界から出た映画作家は、アンダーグランド ムービーの衰退の中にあって 微妙な状態におかれていると思います。
 この前は、ビレージの眞中の繁華街で 上からテーブルが落ちて来て、歩道を歩いていた人が即死しました。
 血だらけの死体とバラバラのテーブルを見てもしばらくテーブルがホテルの窓から落ちて来たと言ふ実感はわきませんでした。
 では又、お手紙いたします。
 ネガ、遅くなり申訳ございませんでした。
近藤竜男

山崎省三様
 原稿 又遅くなってしまい申訳ございません。
 うかつにも 写眞の現像液が切れてしまい、今夜現像出来ません。
 明日 お手紙と一緒に速達で送りします。
近藤

手紙, May. 24. 1972., 1972.5.24手紙, May. 24. 1972., 1972.5.24手紙, May. 24. 1972., 1972.5.24手紙, May. 24. 1972., 1972.5.24
Tatsuo Kondo CV
Digital Archive