五月二十五日

1972.5.25

山崎省三様
 カンジンスキー、カルダー、デ・リベラ、の原稿お送りいたしました。どれもこれと言った新鮮味はありませんが、カンジンスキー展は、選り残された作品だけに、現在見られる最高の内容のものと言えるでしょう。
 シーズンもそろそろ終りが近ずいて来ました。東京ビエンナーレで中原さんが選んだ作家の多くが 今シーズンあたり、ニューヨークで活発な、動きを見せ、アメリカ現代美術の國粋主義的な姿勢が、くずれはじめた現在、ヨーロッパ作家のニューヨークでの発表が意外な活気を見せました。このような現代美術の動きは かえって良いのではないかと思います。たゞ現代日本美術の七十年以後の衰退が 現代美術の國際マーケットとしてのニューヨークで見る場合、非常に目立ちます。
 しょせん 日本の現代美術は、お祭りのモメントを通してしか成立たないと言った事かも知れません。現代美術のコレクターが日本に育たないと言ふ事が最大の弱点なのでしょう。現代美術の國際間のディーリングが日本には見られませんので 自然、EXPOや、東京ビエンナーレでの動きも根の無いものとして 東京への関心は しだいにうすれて行くようです。
 現代美術のコレクターと言ふのは、作家と、ほとんど同位置、あるいは、その先をよむ目の鋭さを必要とし、又、ある意味では、ギャンブラー的資質を、兼添えていると言えるようです。西ドイツやイタリヤのコレクターが現代美術の動向を非常にシャープに見極めて、その出発の時点で すでにコレクションを始めると言ふ動きは、日本と対象的です。ポップアートにしても彼らの回顧展の折に、作品のコレクション先を注意深く見ると、主要作品の、すべてが、アメリカ、ヨーロッパ各國のミユジアム、コレクターの許におさまっており、日本はまずゼロに近い(長岡にあるローゼンクイストぐらい?)と言えます。
 現代美術に賭をするスケールの大きいコレクターが、これだけ経済成長した日本に現在一人も?いないと言ふのは、用心深いのか、かしこいのか、不思議な気がします。古い話で、大原コレクションにしても、やはり、当時における現代美術への、ギャンブルによって、成立っているとも言えないでしょうか?
 ロックフェラーを秀れたコレクターとしては認めないと言った考へ方をする人がいますが、それは、いかに秀れた作品を多く、コレクションしたとしても、彼の場合は、作品の評価が成立った時点でしか、作品を、買わないからだと言われています。
 作家が作品を、作るような目で作品をコレクションする、コレクター層が日本に育たないかぎり、日本の現代美術は、きびしい現実を回避した自己満足でしか成立たないように思います。
 どうもコレクターにこだわり過ぎましたが、作品が売れる事は、作家を、ダメにする面も多いですが、そのような、あからさまな現実を側面に突付けられてこそ、作家が、どの様な姿勢をとるかと言ふ事が、ぬきさしならない問題としてせまって来ると思います。
 タントラに関する本をお送りしたいと思います。日本で楽に入手出来るもの、あるいは山崎さんがお持ちのものをお知らせ下さいませんか、重複するといけませんから。
アルフレッド・ジエンセン(前から点々の作品を作っていた作家)は、今度のペースギャラリーの個展でタントラをテーマとした作品を発表しました。タントラ、僻地、最果て、自然へ!と言った事々への関心は、世界的な傾向なのでしょう。
 自然へのあこがれは、ニューヨークはやゝ気違いじみていて、僕達が戦後、くい物がなくて 仕方無しに食べたようなものを、大変有難って たべています。したがって、自然食の店は、大繁盛です。では又、お手紙いたします。
五月二十五日
近藤竜男

手紙, 五月二十五日, 1972.5.25手紙, 五月二十五日, 1972.5.25手紙, 五月二十五日, 1972.5.25
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