八月二十八日

1971.8.28

山崎省三様
 先日、お送りいたしました原稿のうち、ストライキに関する件、「七月二十日より」と書いたのではないかと思います。(今日、偶然に下書きを見ましたら、そうなっていました)これは、今月(八月)の二十日より始まったものです。もし、七月と書いてありましたら八月二十日と訂正して下さいませ。
 このストライキ、廣い目で見れば、ハンス ハーケ展中止以後のミユジアムの保守化と一貫して考へられる事で、ミユジアムの若手を、中心とする連中が 新しい美術の動向と、ミユジアムの在り方と言った事へのディレンマを解決すべく試ろみた実験の 挫折と見ても良いのではないかと思います。良い作家が出なかったのも不幸と言えましょう。
 僕は、ニューヨークの近代美術館だけがいゝ子になっていると思っていましたが、今度のストライキの内情を見て、むしろ、ホッとした気持です。アメリカのミユジアムは、これから保守化して行くとしても、それぞれ この段階でズタズタに傷ついて、苦い思いを味わいながら、変って行くと言ふ事、これは又、將來に向って、何んらかのかたちで、底辺でつながっていながら、いずれ何かを生むだろうと言ふ気がします。
 日本の現代美術において、徐々に見られる保守化、これがおたがいに だれも傷つく事なくすんなりと移行してしまうとしたら、——まして、こゝのところ立て続けにニューヨークのミユジアムで起った諸問題を、みずから、体験せずに結果のみを見て、すり抜けるとしたら、過去から、現在にいたる日本美術の中にある、もっとも弱い部分の繰返しが再びおこなわれるように思います。
 金の切れ目は、縁の切れ目とは良く言ったもの、今のアメリカは、なりふりかまわずと言った感じです。
 しかし、過保護は、かえって事をだめにするように思います。前向きの仕事をする人はむしろ、資本が、美術界がそっぽを向いた時、——再び孤独が個々に舞戻って来た時、より良い仕事が出来るのではないかと思います。
 ですから、ミユジアムや画廊がこぞって保守化への道へ雪崩をうって、転向する時、前向きと言われていた人々のなかの何が本物でだれがインチキだったかと言った事が良くわかるのではないかと思います。逆の意味で日本において、もっと日本人作家の現代美術が商品として成り立つ時点が来るとすれば 今までの 日本現代美術作家のそれぞれのポーズは崩れ、それぞれの作家の本来の姿勢が赤裸々に現われて来るように思います。
 僕が日本へ歸った頃 針生さんは冬眠すると言っていたそうです。
 針生さんが冬眠するとも思いませんが出来る事なら、こちらが本当に冬眠したいところです。
 では又、お手紙いたします。末筆ながら、斎藤様を始め 芸新の皆様にくれぐれもよろしくお伝へ下さいませ。
八月二十八日
近藤竜男

手紙, 八月二十八日, 1971.8.28手紙, 八月二十八日, 1971.8.28
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