3月1日(1968年)

1968.2.14

山崎省三様
 今日、イサム ノグチさんと 色々 話して来ました。ノグチさんの希望としては、4月16日からオープンするホイットニー ミユジアムの大回顧展(1920年代から68年までの主要作品を展示する)を、中心にした取材の方が良いのではないか、との事です。作家としては当然の希望とは思いますが、それと言ふのも、一つは、Harper and Row社より出版される(ニューヨークでは3月7日発賣) Isamu Noguchi: a sculptor's world,印刷のためと、ホイットニー ミユジアム回顧展準備のため、写眞がほとんど手元にありません。本の方は、カラー以外は「凸版印刷」で印刷しましたので、写眞が日本にありますが、この本、美術出版より出版される事になっており、今、日本で翻訳をしているそうです。近代美術館の小倉さん? が色々とイサムさんに言葉の意味などを聞いたとの事ですが、だれの名で翻訳されるかわ知りません。なかなか立派な本です。
 それとホイットニー ミユジアムでの展覧会準備のため、スタヂオが作品で一杯で、一見写眞を取るのに都合が良さそうに見えて、実は、それを一つ一つ動かすのが大変です。作品群としてとれば それなりに面白い写眞も出来ると思いますが、個々の作品をとるのが問題です。
 アメリカの美術雑誌でも ホイットニーの展覧会を機会に特集を始めるようですが、「アート イン アメリカ」でまづ出ましたので航空便でお送りいたします。この本の文章は、イサムさんがテープに入れてからとったそうで、これを使ったらと言ふのですが、—— わがまゝな人ですから、色々と話しているとかえって話がだんだんむつかしくなってしまいます。(本がおもたいので、イサムさんの所だけを切ってお送りしました。)
 65年以後と言ふのも少々不満のようで、その前のものでも日本に全々、紹介されてないものがたくさんあるし、10年かゝる作品もあると言ふのです。そう言ふ事になってくると、キリがないから、もし、差支えなければ ミユジアムでの取材に屋外作品の写眞と言ふ方が効果的でしかも楽かなと僕も思ふのですが—— この企画、回顧展、本の事等とは、どう言ふ関係になっているのか、その辺の事情お知らせ願えませんでしょうか。屋外の作品は、スキッドモアとの一連の作品中、I.B.M.の中庭と、今後のマリーン トラストのストラクチュアーが日本に紹介されていないのではないかと思います。実現しなかったものとしては、Expo70のアメリカ パビリオン、リバーサイド パークの子供のための公園(with Louis I Kahn)、等 これらは、モデルがありますので写眞にとれます。カラー8枚、白黒8枚となっていますが 全部で16枚ですか? いづれにしろ、ご返事を待たづに取れるものはとっておきます。
 日本でのノグチさんは、日本的な作品が多く そう言ふ折衷的な姿勢で受取られている面が多いのではないかと思いますが、仕事が非常に多角的であるだけに、まったく別な視点から見れば日本的な作品は、そのほんの一部にしかすぎません。アメリカのプロフェッショナル スコップチャーと言ふ視点から、30年代の大変前衛的な作品から、最近のストラクチュアーにいたる日本的でないイサム ノグチにスポットをあてゝ見るのも面白いのではないかと思います。
 アブストラクト エックスプレショニストの世代であり、彼らと密接な交流がありながら、彼らの生かたとはまったく違った路線の上にたっているようです。だから、ゴーキー、ポロックや、クラインが死んでしまった現在、デクーニングが今、生きのびている事自体が苦痛であるのに対して、ノグチさんは、生きる事が大切なのであって、現在生きている事に対する心の痛みなどは、まったくないのだと思います。それは、討死する必要のない「多角性」の故、だと思います。むしろ、惜しげもなく捨て行ったものゝ中に多くの未知数を含んでいるのにおどろかされます。(ケネティックアートやミニマルアート、環境芸術と言ったようなもの)
 対談形式あるいは、対話を多くして見るのも面白いのではないかとも思います。おそれ入ますが もう一度、お手紙下さいませ。
 今日 うっかりして、レコードを買に行きそこないました。月曜日に行って来ます。
近藤竜男

手紙, 3月1日(1968年), 1968.2.14手紙, 3月1日(1968年), 1968.2.14手紙, 3月1日(1968年), 1968.2.14手紙, 3月1日(1968年), 1968.2.14
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