Mar 22 1975

1975.3.22

山崎省三様
 ジャパンハウスのパッケージ展、エルンスト回顧展 流さんの彫刻、の原稿先便にてお送りいたしました。
 パッケージ展のネガよごれていてすみません。この展覧会、今はない なつかしいものを始め、店頭にあるものを展覧会場に並べ変へることで物が違って見えたり、炭俵が、今、アメリカの作家が手さぐりしている問題の答のような 完成したアートに見えたり。・・・ アメリカで見るかぎり かなり楽しませる展覧会でした。
 エルンスト展 僕の好き嫌いは別に客観的に見れば 今まで多くの回顧展の中でも、もっとも見答えのあるものと言えるでしょう。
 勝手な私見から言えば、エルンストと言ふ人は なにか大人になりそこねた見たいな、なにかゞ欠けていて、その分が偏執狂的に完成度へとかりたてるようなものを感じました。シュールリアリストでありながら、女、あるいはSexに關しての淡白さ(むろん初期作品に女をあつかったものがありますが)に異常なものを感じました。たいていのシュールリアリストは Sexの落し穴にのめりこんで メロメロになるのですが・・・
 極く小さなフロッタージュのようなものに 大変良ものがあり、したがって 300点以上の作品をかなり丹念に見なければならないと言ふ作家は、やはり希です。
 それ故に 一つ一つの作品への眞剣さが何時の時代にもかわらずにありながら、晩年に向うほど作品の質が落ちてゆくと言ふこと、—— そこには、イマジネーションも、色への感覚も、作品への執着心の度合も、自然と鈍って行くと言ふ どうしようもない「老」が年とともに現われて行くことに 少々やりきれない感じがしました。
 毎日の日々を くだらないことにすりへらしている現在、もう 目の前にある老を再認識させられたと言ふ誠に勝手な見かたをしたのです。
 流さん ニューヨークで久しぶりに会えて楽しかったです。電話局の火事騒動に巻込まれて、まったく電話連絡がつかない上に、雑用が積重なって せっかくの機会を、ゆっくり飲明かすことが出来ず残念でした。
 流さんの作品の出来た日、3月中と言っても今年のニューヨークは冬が遅れて来た感じで みぞれまじりの寒い日でした。回りがすべて大きいので 働いている人も、流さんも 豆粒のような存在。ニューヨークでもっともはなやかになる場所でありながら 現場ではだゞっ廣い廣場に流さんとスタッフだけ、別に誰を呼ぶわけでもなく 凍った水溜りの中で 6年の苦労をスタッフの人と喜びあうと言ふのは 大変良い一瞬でした。
流さんの白黒写眞とカラースライド、雨の日のスナップでカラー特に良くありませんが、お許し下さい。
 南画廊で 志水さんが見せてくれたエルンスト初期作品 そうかな、ぐらいに見ていましたが、今度の展覧会で 最初期の作品中では、重要なものと言ふ印象をあたえる展示がおこなわれていました。
 では、芸新の皆様、流さん、くれぐれもよろしくお伝へ下さいませ。敬具
近藤竜男

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