10月25日(1969年)

1969.10.25

山崎省三様
 お手紙有難うございました。ニューヨークも十五日の反戰デーの頃はまだ暖かゝったのに 昨夜は零下になったとか、どこのビルにも今月中頃からヒーターが入りました。
 シーズンオープンで一廻りして来ましたが ショックを受けるほどのものは見あたりませんでした。例の壁に直接かいて、展覧会が終ると、消してしまふと言ふ手の作品がポツポツ。ドワン ギャラリーのソル ルイットの個展は、鉛筆のようなもので壁に一ミリ間隔ぐらいに細い線が引いてあり、最初 会場に入ると一見何もない眞白な部屋に入った感じ、良く見ると、うすく、ち密に引かれた線が見えて来て 実に大変な仕事だなと思ふ、それから、会期が終るとぬりつぶしてしまふのだなあ、と思わせるといった仕掛。裏の部屋には、ちゃんと、小品のドローイングがあったりして、なんだか、演出が見えすいてあまり面白く感じません。この前 手帖に「大資本のバックアップするギャラリー」と書いたのはドワンの事で、3Mの娘がやっている画廊です。(あまりに金が自由に使えて、なに事にも興味を失って廃人のような状態であったのを、荒川修作がなおしてやり、以来 ドワンと荒川の関係が出来たとかなんとか言ふ伝説があります) あれだけの巨大会社の資本のもとなら、好きほうだい出来るとも言えるでしょう。税金との関係もあるでしょうし。結構赤字の方が良いのかも知れませんね。アートフォラム(美術雑誌)も資本は、ドワンから出ている分が多いとの事ですし、一日に画廊が使う金額と言ふのは、まったく驚ろくほど(幾らか忘れましたが)のものだそうです。それだけに絵を賣る事[ 賣る事に強調表示 ]には熱心でないそうで 荒川もよくこぼしています。レオ キャステリーがローシェンバーク ジャスパー ジョーンズ以来 前衛のしにせとして、確固たる地位をもっているのと対象的で、(一説には、キャステリーは大変な赤字だとも言いますが)ミニマル以後のアートの動向は、これらと関係のある、フィッシュバッハ ギャラリーとか、バイカード ギャラリー以外は、ほとんどこの二つの画廊の演出とも言えるようにも思います。しかし、今度、レオ キャステリの実力者アイバンカープが キャステリーを出て自分のギャラリーをダウンタウンに開きましたので、その後の動きが皆の注目するところです。今のところ展示作品自体が面白くなくむしろアップタウンの画廊の方が前衛的に見えます。新しいダウンタウンの画廊主は色々な意味でアメリカ美術界にパワーを持っている人々ですが、それらの人達が自分達のいた組織からとび出して一人立ちした時、自分のもっている「パワー」が組織あってのものであったのか、あるいは、本当の実力であるのか、これから自分自身をもためす事になるでしょう。いずれにしても、これらの、画廊、美術界の内情は、政治とおなじで われわれが見ているのはほんの表面現象だけで 本当の事はなんにもわかっていないのが本当だろうと思います。
 ニューヨークフィルのシーズンオープンは、小沢征爾で始まりました。今シーズンはまだ聞いていませんが、最近、チャイコフスキーなんかも振っています。この前聞いた四番のシンフォニーはすごいアップテンポでおしまくりましたが、今までのチャイコフスキーの概念と違ったシャープな音色がきらめいて、なかなか良かったです。彼のプロコフィエフとかアイビス リヒアルトストラウスなども はっとするような新しい音を引出して曲を新鮮に聞かせる事は彼の才能でしょう。彼のブラームスやベートーベンは、僕にはちっとも面白くありません。
 サンフランシスコの画廊主で音楽好きな人(ヨーロッパの人ですが)が 七十年から小沢がサンフランシスコへ来る事をひどく喜こんでいました。今のクリップスはだめだだめだと言ひ、小沢のベルリオーズを高くかっていました。(僕も、レクイエムをニューヨークフィルで聞きましたが、少なくともCBCから出ている幻想交響曲のレコードよりは、彼のベルリオーズは良いと思いました。) あらたな新人が世界からみとめられると言ふ事は、新しい音をクリエートして行くと言ふ事が、新人として高く評価される重要なポイントの一つとなるのでしょう。
 日本でシャンドールを聞かれたそうですね、僕もだいぶ前に聞きましたが、やはりフィルハーモニック ホールに半分も入っていませんでした。彼のようにレパートリーがかぎられている人が、どうして、あんな大きな会場をえらぶのか不思議でした。かんじんのバルトークは何を聞いたのか忘れてしまい リストのソナタと 日本と同じくアンコールでひいたショパンが大変印象的でした。
 斎藤さんのレコードお送りいたしました。山崎さんは昔の演奏に興味がありますか? アメリカではこゝのところ古い録音のもの(テイボー コルトー エドウィンフィッシャー シュナーベル クライスラー等)がぞくぞくと再発賣されています。
 では又、お手紙いたします。
近藤竜男

手紙, 10月25日(1969年), 1969.10.25手紙, 10月25日(1969年), 1969.10.25手紙, 10月25日(1969年), 1969.10.25手紙, 10月25日(1969年), 1969.10.25手紙, 10月25日(1969年), 1969.10.25
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