作品

抽象表現主義

1961年5月-1963年

1961年5月4日、ニューヨークに到着した近藤は、63年にエミリー・ロウ・コンペで受賞。順調なスタートを切った。そして63年末迄の2年半で描いた絵の発表の機会を得た。ニューヨーク日本橋画廊のTatuo KONDO展。アートニュース1964年2月号は展覧会評に記した。1961年からこの国で活動している近藤竜男、この日本人アーチストは力強い取組を行なっている。単一色調による奔放自由の伸びやかな画面にインパストで分厚く絵具を盛り上げ興味ある核を構築する、薄塗りを重ねる、あるいはドリップを行うなど、絵具の微かな変量が作り出す表情は印象的である。また、それぞれの大きな絵は彼の芸術のテーマ、単一の色彩が支配する絵画への本質的な追求である。近藤は、色相に対するデザインと鋭敏な感性を力強く制御する抽象表現主義者である。当時の美術動向は抽象表現主義の末期。後日近藤は記す、この街の美術状況は古臭いと感じながらもラウシェンバーグとジョーンズに変革を起こさせた旧体制である抽象表現主義はほとんど把握出来ない状態であった。それ故、未だ体験していない抽象表現主義へと次第に傾倒して行った。結果、彼等が駆け抜けたあの次元まで私はついていくことが出来なかった。自由を獲得したかのように思えて、結局は計算ずくの型にはまった作品しか作れなかった。それでも、あの時ニューヨークにおいて抽象表現主義にアプローチしたことは、私にとっては掛け替えのない体験なのである。抽象表現主義なしには、ジョーンズもポップアートもミニマルアートもあろうはずがないではないか。

Tatsuo Kondo CV
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