Dec 16. 1981.

1981.12.16

山崎省三様
 クリスマス前のニューヨークは殺伐とした慌だしさですが、今日は雪、日本でえがいたロマンティックなクリスマスが思い起されます。東京も今年は寒い冬だそうですね。
 今日やっと日本での個展作品の発送が終ったところです。長らく御無沙汰いたしてしまいました失礼お許し下さいませ。東京-名古屋-廣島の日本での個展は 先便で記しましたように
1982年 2月1日-13日 東京画廊
2月22日-3月4日 ユマニテ画廊
3月11日-24日 スズカワ画廊
となります。
 今回の個展は対角線シリーズを中心とした作品発表となりますが、マチエールのある作品も最終的には157×426cmという横長の大作を一点送ることになりました。この作品がメインに来ることになれば、展覧会の内容は大分変って来ます。あるいは、これは、名古屋で展示するということになるのかも知れません。
 今回の個展展示作品を 対角線の作品で、ということに決定する迄には 色々、色々な事がありましたが、それは帰国した時にお話しいたします。
 面白いのは——といってはいけないのでしょうが、・・・ 今回展は全部、対角線の作品でやる事が決っていたのですが、今月始め、国立国際美術館、館長新任の小倉さんがニューヨークへ御滞在、作品を御覧になり、「このマチエールのある新作を発表しなくて何んの個展の意味がありますか、僕がそう言っていたと伝へて下さい。」と大変なパワーでありました。無論 酒はどんどん進んでのことです。小倉さんは、京都近美の「アメリカの作家展」の時 色々な屈折があった後、僕のマチエールのある作品を選出したのですから、当然のことゝ思います。画廊に手紙を書いた時、その事を書き添えましたら、直ちに電話があり、このマチエールのある作品も一点加える事に決定したという次第です。東京展にマチエールの作品が展示出来るかどうか? これは帰国してからの勝負でしょう。3つの画廊の巡回といっても、同じ作品の展示ではありませんので、(無論重複展示する作品もありますが) 大小合わせて20点以上送りました。関西の個展は僕にとって始めての経験となります。
 重立った出品作品の4×5スライドを作りましたので同封いたします故 御覧頂ければ幸です。これらの作品が中心をなす出品作品となります。東京には1月15日前後に帰国し個展の準備に掛りますが、南画廊の個展から8年が過ぎ去ってしまったとは信じられないような思いです。年毎に日本の現状に対して疎くなり 本格的アメボケになりつゝあるのではないかと不安ですが、何分よろしく御指導下さいますよう、心よりお願い申し上げます。
 二つのポリス・ロックを含む三つの鍵が掛り 堅牢さを誇ったうちのアトリエのドアも 一昨日泥棒に破られ、カメラにレンズ、アクセサリーと写眞関係をねこそぎ盗られました。ポリスも鍵屋もあきれる程の手口で、これではどうやっても防ぎようがないといったところです。最近では、ドアをフレームごと壁からすっかり切り抜いてしまったり、壁自体に大きな穴を開けて入るという手口も盛んで、無防備都市ニューヨークも、クリスマスをひかえて一段とものすごさを増しています。
 今月のニューヨーク通信のためのフィルムがまだカメラの中に入っていましたので すっかり慌てゝ 一台助かったバカチョン・カメラでこの週末とりなおします。荒川君のプリント個展、クルシュナー/ポロック展等は白黒フィルムがありますので それで補います。
 では、もう後一ヶ月でお目に掛れますこと楽しみに、後小品の制作に頑張ります。
 末筆ながら、斎藤様、芸新の皆様にくれぐれもよろしくお伝へ下さいませ。
近藤竜男

手紙, Dec 16. 1981., 1981.12.16手紙, Dec 16. 1981., 1981.12.16手紙, Dec 16. 1981., 1981.12.16手紙, Dec 16. 1981., 1981.12.16
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