Aug 30 1974

1974.8.30

山崎省三様 編集部の皆様
 出発間際までお世話になりっぱなしで。—— あわたゞしく日本を立ったまゝ御無沙汰してしまい、なんとも申訳ありません。
 お陰様で本当に久しぶりの東京での個展と、1年間の生活を無事に終える事が出来、心から御礼申し上げます。有難うございました。
 ニューヨークへ着いたとたんに その凄まじいまでの汚なさと、無秩序さに ちょっとした恐怖を感じました。
 67年に3ヶ月、71年に1ヶ月帰国した時と同じく、東京へ着いた時より ニューヨークへ戻って来た時の方に帰って来たと言ふ実感があるのですが、今度は 東京での一年間と言ふ時間が、今までとは違った 複雑な疲れのようなものを感じさせます。
 ハワイ、サンフランシスコ、シアトルをへて 8月始めにニューヨークへ入りましたが、やはりニューヨークだけが特殊で、こゝへ来ると、日本は治安国家——悪く言えば警察国家だなと言ふ事を強く感じます。
 日本をたってから、ずっこけっぱなしで、ニューヨークもシーズンオフであることを良いことに、だらだらとつい数週間が過ぎてしまいましたが、成る程 ニューヨークは、ずっこける気なら、バワリーのアル中のように、バンブーになり果てられる所なのでしょう。
 このわずか一年のあいだに ニューヨークの中の日本人社会?とでも言った様なものが、それとなく出来上りつゝあるように感じられました。それは、結果的にであって、それほど積極的なものでないにしろ、日本人が増えるにしたがって、必然的に出来上って来る傾向で いさゝか、わずらわしく感じられます。
 ニューヨークのアート シシュエーションは、ギャラリーはほとんど閉めている上、ミユジアムは先日原稿にお送りしたような状態ですので 取り立てゝ書くほどのものもありません。
 たゞ ミユジアムが夏場をコレクション展でお茶を濁しているとは言え、夏シーズンでもないと、出して見せられない程の膨大なコレクションを それぞれのミユジアムが持っていることの方に改ためて感心したしだいです。
 ミユジアム オブ モダンアートのドローイング イン フランス展や、日本に帰る時に見たホイットニー ミユジアムの アメリカ現代作家のドローイング展で感じたのですが、日本では作家も展覧会の企画者も、ドローイングに対する関心がやゝ薄く、なにか、下書き、エスキースとでも言った感じでやり過ごしてしまい、むしろ 小ぎれいな、プリントへと関心が向いてしまふように感じられましたが、プリントはプリントであって、それとは別に ドローイングと言ふものが、もっと独立した分野として オリジナル作品と同じように考へられ、あつかわれて良いと思ふのですが。
 9月に入りますと、又 シーズンが始まりますので ニューヨークの様子お手紙いたします。
 それから、誠に恐れ入りますが、帰国中杉並の家お送りいたゞいておりました本、又 ニューヨークのスタジオ、
 135 Wooster St. New York N.Y. 1012. T.KONDO宛にお送りいたゞけませんでしょうか。大変勝手なお願いで申訳ございませんがよろしくお願い申し上げます。
 ニューヨークの作家達 皆元気です。川島さんは、鹿島建設の仕事の壁面(ニューヨークに出来る日本の銀行)が取れそうだと張り切っています。
 あれだけ繁盛し 関心を集めていた タダスキーのセラミック スクールは、市長が変ってから、ビジネス タックスの問題がからみ、閉鎖してしまった方が有利と判断、あっさりとやめてしまいました。その間 郊外に立派な別荘を買いました。その替り身の見事さ、すがすがしいばかりです。
 では暑さの折、皆様くれぐれもお体をお大切に、お元気で頑張って下さいませ。
近藤竜男

追伸 斉藤様と手紙がゆき違いになってしまったのですが、レコードの代金送り先は今までどうり
東京都練馬区立野町2108 近藤竜男宛
お送りいたゞければ幸です、とお伝へ下さいませ。
 先月レコードをお送りいたしました折、お手紙書きましたが かさねて日本滞在中 大変お世話になりましたことの御礼、よろしくお伝へ下さいませ。

手紙, Aug 30 1974, 1974.8.30手紙, Aug 30 1974, 1974.8.30手紙, Aug 30 1974, 1974.8.30手紙, Aug 30 1974, 1974.8.30
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