四月二十七日

1970.4.27

山崎省三様
 またまた原稿おそくなりました。先日お手紙にありました ランドアートのスポンサーの件、色々と聞いて廻りましたが、いわゆるドワン ギャラリー、あるいはイエローキャブ(タクシー会社)の社長、ロバート スカールあたりの話でそれ以上の事はなかなかわかりません。これらの事は六十九年四月二十五日のライフ誌にかなりくわしく出ていますのであまり新鮮味がありません。これらの事で書けない事はないのですが—— たとえばオッペンハイムなども、その写眞プロジェクトなどをレイアウトしたものを、わくにはり、発表していますが、(近代美術館での小さい展覧会、オーシャンプロジェクト?)それにサインをする事によって、版画と同じような意味をもち、けっこう賣れるそうです。しかし、その数値については良くわかりません。
 そこで、例の、オーストラリヤのリトルベイをナイロンで包んだクリストが、そのプロジェクトを(一番最初のアイディアから)を全部おさめた本を作ったとの話をきゝ、又、彼が日本における、毎日ビエンナーレのために上野公園をビニールでおゝうプロジェクトを作り、東京都より、許可がとれなかったと言った事なども聞きましたので、むしろ、彼のプロジェクトの、ないよう、お金のやりくりと言った事を聞いた方が具体的で面白いのではないかと思い、金曜日にクリストのスタジオをたづねました。上野公園のプロジェクトは、同時にポーランドのサンズベックーアルネヘムと言ふ美術館と公園のあるところを包む事(道路をビニールでおゝうのです)になっており、ポーランドの方は許可もおり すっかり用意も出来ているので上野公園の不許可に大変がっかりしたようです。東洋と西洋 同じ美術館のある公園でありながら、すべてがせい反対になると言ふ事が彼のアイデアの一つのようで、これから日本の他の公園をさがすとの事です。東京ではシカゴの美術館を包んだ時にならって、美術館の彫刻室の床にビニールを敷きつめるとの事です。色々、金額に関する事、そのせい作方法(彼の場合はそのプロジェクトのデッサン、模型といったものを賣り、お金が出来ただんかいで実際の制作を始めるそうで)、上野の場合はデッサンなどを賣った、プロジェクトが、結局出来ない事になったので(三萬ドル)少々、具合がわるいと言っていました。これらの事を、オッペンハイムの事、スカールの事などを少々をまじえて、書いて見ようと思います。彼のスタジオで 上野と、ポーランドのプロジェクトの説明している写眞と、百二十四万個のオイルドラムを積上げるプロジェクト(七百万ドルかゝるそうです)を説明している写眞を同封いたします。原稿はこゝ二三日中に書いてお送りいたします。
 まずはとりいそぎお傳へまで、乱筆乱文にて失礼いたします。
 クリストは、五六年にブルガリヤ(共産國)から亡命して来た作家で、われわれと同じく、イミグレーション問題などで アメリカで苦労したようです。大変に良い人で、それらの点でも日本人などの外國人にしたしさをもっているようです。
 芸新と山崎さんの事を、実はかってに紹介してしまったのですが、もし、おひまがありましたら、お会になりませんか? 奥さんがパリシェンでやはり大変きさくな人です。
 五月の三日に日本へ行くそうです。
四月二十七日
近藤竜男

手紙, 四月二十七日, 1970.4.27手紙, 四月二十七日, 1970.4.27手紙, 四月二十七日, 1970.4.27手紙, 四月二十七日, 1970.4.27
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