12月31日(1969年)

1969.12.31

山崎省三様
 二十八日 電報受取りました。日曜日でしたので月曜日もギャラリーは休みで 結局三十日に行ってまいりました。
 キャステリーでは ワーホールの「ブリロボックス」オリジナル(と言ふ言葉を使っていましたので おそらく、ステーブル ギャラリーでの個展の時に賣られたもの——もちろん多数ですが——をさすのでしょう)は、もしあれば約二千ドルから、それ以上であるけれども 現在手持ちの「ブリロボックス」は全々ないとの事です。と言ふ事は ワーホールが過去に作ったものですから、現在、キャステリにあるわけはないので、賣りたいと言っている人が、現在いないと言ふ事なのでしょう。
 テインゲリンの「1M3」は ニューヨークのイオラスでは まったく資料が無いとの事です。ニューヨークのイオラスでは、そこであつかうか、あるいは、あつかえる作品のリストしかないようです。パリの、Iolasart Paris, France(ケーブルアドレス)へ問い合わせてくれとの事です。以上 あまりおやくにたゝなかったのではないかと思いますが、遅くなったので あわてゝ打った電文で良くわからなかったのではないかと心配です。
 原稿、今月は、本当におくれてしまい申訳ありません、ホイットニー秀作展へは結局行けず、グッゲンハイムのブランクーシー展だけお送りいたします。
 今日はおゝみそか、もう年はとりたくありません。
近藤竜男

手紙, 12月31日(1969年), 1969.12.31手紙, 12月31日(1969年), 1969.12.31手紙, 12月31日(1969年), 1969.12.31
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