Dec. 19. 1970

1970.12.19

山崎省三様
 先日は、お手紙有難うございました。うちのが度々、お世話になり感謝いたしております。山崎さんのお宅で御馳走になり、麻雀をしたのが大変楽しかったようです。スカーフまで頂いたそうで本当に有難うございました。
 グッゲンハイムの展覧会は 12月の2日がオープニングで 1月31日まで開きます。一応写眞を取って見ましたのでお送りいたします。これで だいたいの雰囲気は、わかっていたゞけるのではないかと思います。
 この展覧会を最初見た時 あまりに弱いと言ふか薄い感じで こんなんで良いのかなと思いました。日本人、それも 僕達ぐらいまでの世代の人には、やはり同じように感じられるらしく、良くないね——、と言ふのが、おうよその意見でした。
 しかし、日本人でも若い人達の一部や、アメリカ人の多くは、僕達が感じるよりはずっと好感を持つらしく、評判は悪くないようです。僕達の世代までの日本人は、どうしても未知なもの(あるいは西洋)に対して、無意識にしろ、重いものを要求しているのでしょう。(あるいは明確なもの)。薄い感じと言ふのは弱いと言ふ言葉におきかえられ、あまり良い事とは感じられない習慣が身についています。
 アメリカ人にとって(西洋人にとって)薄い感じは、別にマイナスになるものではなく、今度の展覧会に見られる馬鹿に清潔な感じと薄い感じは、彼らが憧がれる要素すら、その中に感じられるのかも知れません。アートはインターナショナルだなど言っても その國々の人の美意識と言ふのは、まったく通じ合はないほど、違うのではないか、などとも考へます。
 今度の展覧会はフライの「このみ」で徹したようで、会場の展示も個々の作家の作品を別々に掛けたりして、作家中心よりフライが「自分の展覧会」としての会場作りを中心に展示したように思われます。
 ですから、会場の雰囲気は良く言えば、大変すっきりしています。写眞を取りながら、もう一度ゆっくり見たのですが、結局、アメリカ人としてのフライの目から選んだ ジャパン ニューアートは、日本人の僕達から見ると、どうもピンと来ないのですが、時間がたって展覧会になじんで 彼の欲する基準のようなものが見えて来ると、僕達がまるで考へていなかった角度から、一つの基準が立てられているらしいと言ふ事が感じられます。そうして見ると、高松でも菅の作品でも 日本人の僕達が解釈しているのとちょっと違った角度から取上げているようで、そう思ってみれば、作品もちょっと違って見えて来ます。僕達は、そのように見る事に大変抵抗があるのですが、これはアメリカ人にとっては抵抗なく受取られるようで、日本人とアメリカ人のどこに断層があり、どこに共通するところがあるのかと言ふ事を考へさせられます。少なくとも それらが彼らにとっては新鮮なのであって、これが結局は新しい意味でのジャポニカでしかないのか、あるいは、われわれの盲点を、フライが、引出して見せた、と言ふ事なのか、—— もう少し、ゆっくり考へて見ないとわかりません。
 ニューヨーク タイムスでは、ケネディーが二回にわたって書いていますが、今までの日本作品に対してはまるで、チャカシてしまって、評以前の段階であったのにくらべれば、今度の展覧会に対しては始めて、まともに評を書いた とも言えましょう。
 ケネディーの評としては、これでも良い方なのだそうですが、ケネディーにほめられたら、もうダメダと言ふジョークもあります。フライは、この評では全々不満で ブツブツ言っています(新聞のコッピーを同封いたします。サンデータイムスの方には森さんの絵の大きな写眞がのっているのですが、コッピーしきれないので、そこは切落しました)。
 まあ、アメリカにおける日本の現代美術と言ふのは、ニューヨークの実情から言えば、まだ、まるで問題にならない状態です。ですから、今度の展覧会は、その良し悪しの評価以前の問題として、彼らに何んらかの意味で日本の現代美術と言ふ事を認識させる地点にたちもどって考へれば、ニューヨークにおけるはじめての成功(非常に小さい意味での)と言えるのかも知れません。
 スタンフリー ギャラリーで 三木、高松、昆野、小野里、前田、などの作品展をやっていますので期待しましたが、小品のクリスマスセールと言った感じで(スタンフリーは日本買上げでこちらへ持って来ます) むしろ二回目の時(数年前)の方が良かったように思います。
 マーサー ジャクソン ギャラリーでは、脇田君が2回目の個展をやっています。なかなか、きような人です。
 ニューヨークの画廊は、ごく一部をのぞいて、最近非常にコマーシャルになった感じで 「画廊」本来の姿がむき出しになって来たようです。不況のなせるわざかも知れません。
 三島由紀夫の割腹自殺には、びっくりしました。こちらでいきなり聞いた時 始めはなにがなんだか、わけがわからない感じでした。しかし、アメリカの新聞雑誌は、最初の報道から、まじめに一人の作家の死、として取上げていた事はすくいでした。アメリカ人は(一部ですが)、三島さんの死に対して大変まじめに考へている感じを受けました。
 アメリカのインテリは、どうしようもなくだめになって行く、自分の國の中にいて、しかも何も出来ずにいる時、三島由紀夫の死を聞き、事実以上に そこに行動する人への彼らの夢を、託したようにも思われます。彼らは、日本の中にいる多くの日本人よりも、日本と言ふ國が、自國のアメリカと同じように 悪くなりつゝあると言ふ事を敏感に感じているのですから。
 来年は、一度、日本に歸りたいと思いますが、なかなか、スケジュールがうまく組めません。馬場から手紙があって サトウが今度、絵の具賣場と別れるので、新館へ移った時に展覧会をやらないかと言って来ましたが、ちょうどその時期にうまく歸れるかどうかわかりません。
 志水さんのところでもし個展が出来ればやりたいなとは思いますが、どうもまだその時期でないように思い 聞いて見る程の勇気はありません。いずれにしても日本の現状が、どうなっているかと言ふ事が急速にわからなくなって行くような気がします。急ぐと自分でつぶれてしまいますから、急がずに仕事を續けて行くよう心掛けようと思っています。
 グッゲンハイムのカタログは日本で印刷しましたので、そちらへあるかと思いますが、一応別便にてお送りいたします。
 今、小品を一点お送りしたいと思って作っているのですが、のびのびになっています。もしかしたらお正月までに着かないかも知れませんが、その時はのみすぎと思ってかんべんして下さい。
 原稿を一緒にお送りするつもりでしたが、郵便局の〆切時間が近いので、写眞だけ同封いたし、原稿は明日お送りいたします。
 末筆ながら、奥様を始め、斉藤様、中原さん、前田さん、よろしくお傳え下さいませ。美代子が色々お世話になりました事かさねて御礼申し上げます。
近藤竜男

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