5月12日(1966年)

1966.5.12

山崎省三様
 ごぶさたいたしました。あわたゞしく毎日が過ぎてしまい、ゆっくりお手紙も出来づ失礼しております。
 毎日 ブルックリンの学校へかよわなくてはならなくなり、今が満開のブルックリン公園の八重櫻を毎日見ているのですが どうも楽しむ気分にはなれません。
 今月を最後に春のシーズンも終りとなりますが、これと言って目立った動きはないわりに やゝ充実した展覧会がこの二三ヶ月續いたように思います。オプティカルアートは鳴物入りで賑やかでしたが 結局はバッサレリー、アーバスの再評価、それにアンッキビッツぐらいで むしろその影響を受けた他の作家のほうが面白味をましたとも言えるでしょう。
 最近見た展覧会ではキャステリのワーホールの水素枕? 銀色の空気枕が多数会場に浮遊しているだけのもので、ポップアートの作家としては ワーホールとリッチェンシュテインは本物のような気がします。
 オルデンバークとマリソル・エスコバルの個展がジャニスでありましたが、オルデンバークはなかなかの才人で 最近のものは、シンク(流し) バスタブなどを色ビニールのようなもので縫ったものなど。アッケラカンとして見えて 実はなかなか味があって芸術作品的です。「実はうまいんだぞ」と言っているような点がチラチラ見えてかんにさわります。あるいは僕の思いすごしかもしれません。でもオルデンバークという人は、デッサンのすごくうまいアカデミックなものを身につけた人です。うまいと言ふ点ではジム ダインもそうでしょう。マリソル・エスコバルは良くありません。ステーブルでやった最初の個展、コニーアイランドのカラッとして不気味なリアリティーはないし 本来ポップの作家でない人が、ポップの波に乗った事の結果なのでしょう。しかし、マリソル・エスコバルはジャーナリスティックには一番の人気作家です。いづれにしてもポップアートと言ふのは、やはりアメリカで育ったもっとも重要なものの一つだと言わざるを得ないでしょう。
 その他 ネオンサインのクリサが よぶんなものがなくなって面白くなったと思いました。クリサの個展などがあると、吉村君の個展は、それこそ無数の尾てい骨をさらけ出して、あまいと言えばあまいし、だめだと言えば、だめなのでしょうが、それだけに僕らには それぞれのよぶんなものが良くわかって私的な愛着を感じるのです。クリサは画廊から月何百ドルか何千ドルか? もらっていて、吉村君は生活のために働いて イミグレーションより國外へ出るよう勧告されると言ふ事、その縮図なのでしょう。
 タダスキー君は クーツが突然クローズしてしまい、かなりのショックだったと思います。それ以来誰とも没交渉でくわしい事はわかりませんが、早く、どこか良いギャラリーがつかない事にはツライ事でしょう。彼の場合はクーツにたよりきっていたし、オプの流行にのって突然出て来た作家だけに 今後どう言ふ結果になるかと言ふ事は、アメリカの美術界の内幕を知るうえで大変興味があるのですが、ほかならぬ彼の事なので傍観と言ふわけにも行きません。早く元気を出してもらいたいと思っています。
 こゝのところ日本人の出入りが頻繁です。おそらくは、これからもっと激しくなる事でしょう。先日、池田君のホテルでなんとなく送別会のような事をやり、東野さん、池田君、アイオーなどの出る組と、荒川君、河原君、川島君などの残留組、堂本さんなどの新入國組などが集まりました。僕はまったく酩酊して どういうぐあいに歸って来たかも良くわかりませんが、なにしろ一人で酔っていたようです。山崎さんのいらした時もそうでしたが、どうもこのごろめっきり酒が弱くなったようで、と言ふよりダラシナクなったようでなさけない事です。東野さんとは何回も会いながら、なんとなくゆっくり話し合う機会が持てませんでした。おあいになりましたらよろしくお傳へ下さいませ。
 先日 東京画廊の林さんが見え、20日頃 山本さんがニューヨークへ来られるので、又一緒に見えるとの事です。
 この前山崎さんがニューヨークへいらした時の写眞、大変おそくなりましたが同封いたします。
 日本アートフェスティバルの日本での反響はどんな具合ですか? ケネディーの酷評を最後に いつ終ったのかもわからないほどになりをひそめてしまいましたが・・・ 日本へ歸るまでには時間もある事ですから、当事者はそれなりの日本への準備をととのえなおして歸國した事でしょうが——なにしろ会場では、その日その日で展覧会の主旨から目的にいたるまで、外からの反響にあわして違った事を言っていたのですから。
 斉藤様のレコード、全部無事つきましたでしょうか? フランクのクインテット(ヤナチェック クアルテット)だけどうしても手に入りませんので 又みつかりしだいお送りいたします。
 レコードの価額は、次のようになります。

手紙, 5月12日(1966年), 1966.5.12手紙, 5月12日(1966年), 1966.5.12手紙, 5月12日(1966年), 1966.5.12
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