Jun 3 1970

1970.6.3

山崎省三様
 お手紙有難うございました。東京ビエンナーレ見てみたい気がしますが、来月号の美術雑誌で知る事が出来るでしょう。ニューヨークの作家以外は半分も知っている人がいませんが、中原さんの選考と言う事や、ニューヨークの作家の顔ぶれからして、おゝよその見当はつきます。
 ニューヨークからの出品者から言える事は、ミニマルアート以後の作家で、やゝ知的なゼッシャーと、イリュージョン、あるいはアート、と言ったことを否定するポーズをとりながら、実は一番アーティストくさい体質をチラチラのぞかせる、と言った事が これらの作家に共通している点と言えそうです。
 タッカーがホイットニー ミユジアムで アンティ イリュージョン展を企画した時、ちょうど中原さんがニューヨークへ見えており 今度の展覧会の方法には、かなり影響を受けているのではないでしょうか?
 アンティ イリュージョン展の場合も アンティではなく、まさにイリュージョンにすり替ってしまったように、この種の展覧会は作家自体は、必らずしも企画者が打出した論理どうりに動くわけには行かないし、作家としても出来上った結果としての作品が、自分の論理にそったものになるとは限らないのですから。(会場制作の場合は特に)
ニューヨークでもミユジアムあるいは画廊の会場で作品を作るということは、もはや、一つのパターンとなってしまった感じで、「会場で作るための」あるいは「展覧会終了後消滅するもの」への手順がうまくなりすぎて、その事自体への目的が先に立ってしまい新鮮味がありません。
 クリストは、もともと画家的素質を十分持っている人で、彼の仕事が一見、アンティ アートに見えるとしても——彼のすべてを総括した——判断 手順、行為——と言ったものはすべてアーティストとしての(それも、ヨーロッパ的とも言える)発想が基底になっているように思へます。彼に否定の姿勢があるとしても それは、あくまで芸術家的判断による否定と言ふ事なのでしょう。そう言う意味ではオルテンバーグと似ているとも言えるかもしれません。オルテンバーグは いくらムチャクチャに作っているように見えたとしても ちゃんと「芸術作品」になっている、あるいは、なってしまふところがあります。クリストもオルテンバーグもデッサンがなかなかうまく(うまさをことさら見せるようなところが気にいりませんが)ようするに かける作家です。その意味で彼らは、いつの時代にあっても、——フィギュラティーフであろうが、アクションの時代であろうが、彼らは、その時代の作家として適用するような仕事を アルチザンとして出来る人達です。その点でワーホールや、リッチェンシュテインは根本的に違うようです。彼らは、「絵」がかけるわけではないし 出るべくして出た「ポップアート」以外の何者でもないのであって、それ以外の時代においても彼らが作家として成立つと言った事はあまり考へられません。
 日本人としての僕は、クリストやオルテンバーグには どこか、はだで近親感のようなものをおぼえるのですが、それ以上に、自分自身に、あるいは、いまゝで自分がそだって来た日本のアートの地盤にまったくなかったものとして、リッチェンシュテインやワーホールと言うのはより魅力的でした。しかし、それは身動き出来ない「新しいもの」としてのみ高く評価するのであって、個の「作品」という問題に立返って考へた時、その矛盾をつきつけられて、とまどいます。
 話がずいぶんそれましたが、今度日本へ行った作家の多くは、前者(クリストやオルテンバーグ的な)体質の作家が多いのではないかと思います。セラにしてもソニヤにしても。—— (たゞその次元がわりと低いのではないかと思います)ブルース ノーマンは、かなり才能があって、すごく器用な人だと思ふのですが、セラやソニヤのように表面に出さず、わざとかくしているような事をやります。見る側と知的なゲームをやっているようなところがあって、僕は、これらの人のなかでは一番好きですが、もしかしたら、一番ずるくて、やな奴かも知れません。東京ビエンナーレの顔ぶれは 展覧会自体は大変魅力があるのですが、これらの作家のおかれている環境の前後の関係なしに、いきなり 日本で見せられると どう言ふ事になるのかなと言ふ事もちょっと考へます。完成された作品としての絵画であるニューアブストラクション、あるいは、あまりにコンセプチュアルなミニマルアートと言ったものに ある意味で 反発するような姿勢の中から出て来た新しい世代が大部分であって、(反発するしないにかゝわらず)それらとの深いきずななしには この展覧会の作品のおかれている立場は考へられないように思います。日本でミニマルアートがどのていど理解されたかと言ふ事は大変疑問で、日本の新人で 本当の意味で ミニマルアートをやった作家と言ふのはいないように思います。少なくともニューヨークからの作家およびニューヨークで見る事の出来るヨーロッパの作家などから考えられる東京ビエンナーレは、僕のニューヨークで見た作品において言えば、山崎さんがお手紙で書かれている事とまったく同感です。
 この前もちょっと書いたかと思いますが、ニューヨーク カルチアル センターで朝日新聞の協力で開かれている廣島長崎展。あの中の一枚、廣島市廃虚の遠望の大パネルは、こゝ数年見たどの作品より(こんなくらべかたは、おこられそうですが)はるかに強烈でした。あの、人のほとんど見当たらない廣大な廃虚とかなたの山々、瞬間に現われた虚無の風景は、オッペンハイムや、マイケル ハイザーのアースワークなど、まるで子供の遊びのように見えます。原子爆彈と言ふのは 考へかたの軸をかえて見ると、戰争と言うプロセスの上で緻密に計算されて成立った行為、それは、ランドアートとなんと似ている事かと思えます。—— 人間の狂気と言ふ点でも・・・
 今度のグッゲンハイム ミユジアムでの國際見本市、どう言う事になっているのでしょうか?
 昨年、中原さんや、近美の冨山さんなどがニューヨークへ見えた時も すでに「グッゲンハイムで展覧会を開くかわりに作品選考はフライ氏一人にまかせる事」と言ふ強い條件をつけられたと言ふ事を言ってらっしゃいました。グッゲンハイムでも、近代美術館でも完全なキューレター システィムをとっており、どんな小さな展覧会でも必らずキューレターが責任をもって その展覧会を企画しており、いわば、キュレーターとしては、自分の首をかけて その展覧会を企画するわけです。これらの美術館で キュレター システィム以外の展覧会と言ふのは、ちょっと思いあたりません。國際見本市の場合でも、グッゲンハイムの会場を使う以上、グッゲンハイムのキューレターのだれかゞ「自分の展覧会」として全責任をもっておこなう事しか考へられないのですが。・・・
 春になった頃 美術手帖に アート フェスティバルの公募の広告が出ているのを見て、大変びっくりしたのですが、顔見世興業のような審査員の顔ぶれも又異様で、日本の現実が変った事の現われとでも解釈のしようのないようです。
 ところが グッゲンハイムのフライ氏は最後まで——5月末ニューヨークを立つまで——自分一人がキューレター システィムでやるのだと言っており、美術手帖の嘉門氏の文(3月号、6月号)(アメリカ在住作家は公募の対象としないと言った事をも含めて)とはまるで反対の事を言います(公募規定には在米作家に限り、スライド審査も可とあります)。少なくとも、日本でジャパン アート フェスティバルとして、進行している事柄についてはフライはほとんどなにも知らないようで、(トボケているのかも知れませんが)良い展覧会にするためには多くの作品に接しなければならないのだから、日本でそう言う事になっているのであれば、とりあえず一人でも多くの作家がスライドを送ってくれるように、自分は日本でそれを見られるのだから、と言っており、ロンドン ヨーロッパを廻って日本へ着くまでのあいだにも 在外日本人作家の作品を見て廻ると言っていました。
 ニューヨークに住んでいる我々は フライ氏とのこう言った話が始まるまで、(これも偶然ですが)アート フェスティバルの内容にかんしてはだれも知らず、もしそのまゝであったなら、ほとんど だれも応募しなかったでしょう。今度のニューヨークからの応募者の半分以上は、”グッゲンハイムでやるのなら、キューレター システィム”と考へて(フライ自身そう言っていますし)の事でしょう。
 「今までの見本市ではだれも出さないよ」とは在米作家の多くが言っている事です。僕も結局3000円なりとともに応募したわけですが、——
 ニューヨークから見本市協会へ手紙を出した人がいますが、その返事では、3000円に関しては返事をしてくれず、(スライド審査の場合も3000円が必要かどうか)たゞ「我々としては在米作家を極力参加させるよう努力するつもりでいるが、まだグッゲンハイム ミユジアムからの承諾を得ているわけではないので その点をおふくみおき下さい」との返事だったとの事。グッゲンハイム ミユジアムの言ふ事、嘉門さんの言ふ事、とも又違う返事で結局、皆、なにがなんだかわからないまゝ、フライ氏の良い展覧会にするためには、一人でも多くの人が参加してくれるようにとの言によって応募した人が多いのでしょう。
 応募規定にある「音響、電気を除く」にはフライ氏も、音響、電気を除いて、現代美術からなにが集められるのかと、あきれかえっていました。「作品を補償しない」と言ふ点でもグッゲンハイムは全作品を補償すると言っていますし(それがこちらのミユジアムの常識です) おそらくグッゲンハイムとはあまり連絡をとらずに事を進めているのではないかと思われるふしも多々あります。
 もし、これで、フライ氏がキューレター システィムをおしとおして、自分で日本を廻って作家をさがして歩くとすれば、(彼はそのつもりで十分な時間を日本にあてゝいます)江原さんの文ではないですが、大詐欺になりかねないですね(日本へ送った3000円也はさっそく受付証が返送されて来ました。したがって手帖で言っている嘉門さんの話はどうやらうそのようです)。
 今度、グッゲンハイムでいいかげんな展覧会をやったら、ニューヨークにおける日本現代美術の評価はもうおしまいでしょう。フライは日本ビイキだから、近代美術館での日本現代美術展での不評(ユニオン カーバイトは話になりません、第一回見本市)を挽回して——(ミユジアム モダンアートはグッゲンハイムのライバル)——しかも自分の名もあげたいと言った心情なのでしょう。
 今年は日本へちょっと歸ろうかと思っていたのですが、都合で来年にしました。Expo70もちょっと見たいですが残念です。この頃、栗田玲子さんと言ふ人から、たまに写眞をたのまれます。ニューヨークへいる福井延光さん(一番親しい友達の一人です)の奥さんの講談社?時代の仲間だそうで、ニューヨークへ見えた時にそんな話になりました。
 ニューヨークのマージャン熱はあいかわらずですが、うちのやつがこの頃マージャンをおぼえ、すっかりのぼせ上っています。週末ともなると、川島さん 河原温さん 平岡さん 豊島さん 福井さんなどで徹夜マージャンをやっています。この前うちでやった時は、3卓になってにぎやかな事でした。僕はマージャンはやらないので酒ばかり呑んでいます。山崎さんにいたゞいたトックリはたくさんお酒が入るので 一本だけ・・・と言ふ時には大変都合が良く、いつも愛用しております。
 斉藤さんのレコード、前の分は明細をお送りしてしまったので手元になく、良くわからないのですが、あの時はディスカウントがあまりなかったように記憶しておりますが、どれかディスカウントになっていたレコードがあったかも知れません。
 レコードのリストは手元にありますので それで計算しますと(サムグッディーのディスカウントでない今月の値段で)、

[頁8以降、原本なし]

手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3手紙, Jun 3 1970, 1970.6.3
Tatsuo Kondo CV
Digital Archive