七月二十一日

1968.7.21

山崎様
 ごぶさたいたしました。
 暑い々い夏となりました。南画廊の清水さんと、東野さんがニューヨークへ見え、この暑さにいさゝかまいったようです。新しいスタヂオに引越したばかりだし、日本で作品をお見せした後ですので 特にお見せ出来ると言ふものもなく、残念でした。
 近代美術館でThe Art of The REAL U.S.A. 1948-68展を開いています。まあ、ミニマルアートを正当化するための展覧会と言っても良いでしょう。アブストラクト エックスプレションの頃から、ハードエッヂ グループの勢力は、かなり強かったのですが、いつも美術界をリードするまでの勢力とは、なりえないまゝに現在にいたったと言えます。それだけに現在、とうじのアブストラクト エックスプレショニストがきえてしまったのに対して当時のノーランド、ケリー等があい変らづ第一線の賣っ子作家でいると言ふ事などから、四十年代後半から、現在まで常に安定した一つの勢力をもっていたジオメトリックアートの系列に現在のミニマルアートを加えて、アブストラクト エックスプレション——ポップ——オプと言った流れに相対する一つの動きとして見せているようです。ポロック ジャスパー ジョーンズを、ちゃんと入れており、ポロックをこう言ふ見かたで紹介するのも面白いと思いました。
 七月号の芸新で山口先生がなくなられたと聞き、びっくりいたしました。
 僕が芸大にいた頃は、モデルをディフォルメする事すら、きびしく非難された頃でしたので、そんな時に新任としてこられた、山口先生には、だいぶかばっていたゞきました。
 卒業してからも、「山口先生は、オーシャンウイスキーで質より量だ」と言ふ事で(山口さんの近所の酒屋で聞き) 一人一本あて、三人で行けば四本ぶらさげて行っては、ベロベロになるまで呑みました。一度は、よっぱらって歸りに甲州街道でトラックの運ちゃんとけんかになり、高井戸署へ連行されて朝までしぼられました。
 アメリカへ来る時も推薦状やらづいぶんお世話になり、その頃になると、朝 上北沢のお宅に伺っても ボソボソとウイスキーをぶらさげて出てらっしゃいました。日本へいるあいだは、パリの友達の消息などを先生に聞いたりしたものですが、こちらがアメリカへ来てしまふと、ろくに手紙を出さづ、この前歸國した時も一度お伺いしたいと思いながら、そのまゝになってしまい、本当に申訳ない事をしてしまったと思い ガッカリしてしまいました。
 先日 川端さんに会いましたら、「山口が死んだのを知ってるか? みんな死んでくなあ」と言ってらっしゃいましたが、川端さんも何時の間にか、六十に近い年になり、ガムシャラに生きると言ふより、身辺の不安が身にしみる淋しさが感じられました。
 この後、ホイットニー ミユジアムの「Twenty Four 20th Century Americans」 グッゲンハイムの「ルッソ、ルドンとファンタズィー」 ジューシ ミユジアムの「Recent Italian Painting and Sculpture」展の写眞お送りいたします。(たぶん来月になると思います。) 二十七日から、一週間ニューヨークを留守にいたします。
 では又、お手紙いたします。敬具
近藤竜男

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