May 24. 1973.

1973.5.24

山崎省三様
 先日は山川さんよりのお電話、有難うございました。こゝのところ、何も彼も遅れ々れとなってしまい ジャパン ハウス ギャラリーへもまだ行かぬまゝとなっておりますがお許し下さい。今月中には、カタログその他の資料お送りいたします。
 七月始めの歸國の予定ですので、現在のスタジオを一年人に貸さなければならず、(入居希望の人が5月より入りたいとの事で) こゝのところ引越さわぎで落着きません。
 現在より、古川さんの所へ(212)(691-0346) 1ヶ月半、居候を始めましたので、もし、何かの急用でお電話をいたゞく事になりましたら、上記へ朝七時前、御連絡いたゞければ幸です。眞夜中は、何時でも結構ですし、晝間の時間でしたら、(212)475-0300へお願いいたします。
 今、京都近美の小倉さんがニューヨークへ見えています。(こゝ数日は、南米で 又、ニューヨークへもどられるとの事)、小倉さんは、まったくの初対面ですが、「アメリカの日本作家展」では、僕の作品は変なところから、こじれはじめ、あまり可能性がないのではないかと思っています。
 僕が主要と考へていた作品は、とても京都の近美に入らない事、
 僕が現在 転換期であると言ふ点(小倉さんの説)、
 南画廊で2月に個展を開くと言ふ事が小倉さんにとっては、大変に引掛る問題のようで、結論から言えば、僕が今月の7月始めより来年の2月まで日本で制作するはずの作品と、現在ニューヨークで選ぶ作品とのあいだに 大きな質の差が出た場合、近代美術館は南画廊のお余りを頂戴したと言ふかたちになる(東京展示が2月で僕の個展が2月の末、同じ時期になります)と言ふ事は、近美にとっては、大変具合の悪い事であると言ふのです。
 僕も少々、アメボケで12フィートの作品がミユジアムに入らないと言ふ感覚がまったくなく、執拗にその作品の主要性を強調しましたので 小倉さんも困ったと思います。転換期と言ふのは、作家にとっては、もっとも重要な時期であり、その中の数点は自分にとっては、もっとも主要な作品になると思ふのですが、小倉さんにとってはあまり関心を呼ばない作品であるかもしれません。—— 作家は勝手なもので、何時も自分の作品は良いと思っています。まあ、だめならだめで南の個展で精一杯の良い作品を発表する気構であり、自分ではあまり気にしないのですが、なんだか志水さんに大変申訳ないような気がします。
 日本——ニューヨーク——ヨーロッパと動いている作家は、洩れぎみで、現在の時点でニューヨークへ滞在しない作家は人選から洩れる結果となるようですが、地球が狭くなり、國と國との交流が極く自然となった現在、「アメリカの日本人作家展」と言ふタイトルに添って、一つのパターンを作って はめこむ事自体が少々時代遅れな感じがしますし、僕なども これからは、日本とアメリカを行来したいと思っている矢先ですので 何か小倉さんの言われる事が意外に感じられました。

手紙, May 24. 1973., 1973.5.24手紙, May 24. 1973., 1973.5.24手紙, May 24. 1973., 1973.5.24
Tatsuo Kondo CV
Digital Archive